映画・ま行

2008年3月23日 (日)

『魔法にかけられて』  歌って踊って闘う!プリンセス

久々に観たラブコメディ。ほんとにこういう映画に飢えてたんだなあと気付かされてしまいました。暇さえあれば上映チェックと称して映写室から覗いております。

Enchanted_80320_1 『魔法にかけられて』 (’07 米)

あらすじは省いて以下ネタバレ。

初めて予告を流した時、映写担当スタッフの間で「なんかすごく面白そう!」と話題になった作品です。お肌の状態からしてお姫様がわりと歳とってそうなのが個人的にちょっと気にかかったのですが、公開された週にさっそく観てしまいました。とってもとっても観たかったのですhappy02

ディズニーアニメの定番である‘通行人全員を巻き込んでのミュージカル’、あの公園での場面は圧巻。実写でやるとこんなになるんだー、と感嘆してしまった。あの時点ではふたりは気付いていなかったけど、あれは立派な“デート”でしたよね。ああいいなあ・・・。

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主人公のジゼルが可愛い!33歳の女優さんだろうと関係ないもん(というかむしろその年齢で演じてくれたのが嬉しい)。声も綺麗だったし。

おとぎばなしの世界にいたジゼルは、怒りや悲しみや切なさといったいわゆるマイナスの感情?とは無縁でした。上の画像の場面で「♪エドワードが迎えに来てくれるまで切なくてたまらない~」なんて歌っていたけど(もしかしたら字幕の字数の都合でそう訳されていただけかも?)、このときの彼女には‘切なさ’のなんたるかがまだ本当にはわかっていなかったのだと思う。
“運命の相手と出逢ってお互いに一目惚れ→そしてHappily Ever Afterに暮らす”の結末が待っていると、それまで信じて疑わなかった。そんなジゼルがロバートに出会い、怒り・戸惑い・切なさ・そして本当の喜びと、自分で考え、決めて、選ぶということを知る。

人間になりたいと願う悪魔が主人公の、わたしの大好きな漫画があるのですが(でも未完のままなんですけど・・・)、その中で主人公のアクマくんは「真の幸福とは?」と尋ねられこう答えました。

「獲得するものなんじゃないですか 
与えられた幸福が自分にとってそうではなかった場合」

ジゼルも、ガラスの靴(ではないけどそういうふうに見えなくもない)を脱ぎ捨てて剣を取って悪い女王と戦い、愛するロバートを守りました。この時のふたりの会話がね、何度観てもよいのです。

ジゼル 「本当によく落っこちるわね」
ロバート 「君がいれば大丈夫」

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先にも書いたようにジゼルは可愛く、そしてロバートがまたよかったです。P.デンプシーで‘子持ちのやもめ(←ちょっと言葉が悪い?)’という設定が大正解だった~heart04
やって来たばかりの頃のジゼルが勝手にカーテンでドレスを作った時はカンカンに怒ってた彼が、その次にベッドカバーか何かがやられている(切り取られている)のを見たときの、ものすごく優しい笑顔。ここの場面も何度も何度も観て、その度にため息をついてしまいます。
ロバートの娘のモーガンも可愛かった。最初の方でなぜ空手着か柔道着を着ていたのかが謎ですが。彼女が緊急事態で最終兵器(←?)を使う場面ではお客さんが爆笑していました。
それにお気楽能天気だけど肝心なところではきちんと人の心を思いやることのできるエドワード王子(J.マーズデン最高!)、女王様命!だったのにそんな自分に疑問をもつようになるナサニエル(T.スポール芸達者~)、執念深くて意地悪な女王様(S.サランドン似合いすぎ)、最後にガラスの靴を履けたナンシー。毎度のことだけどやっぱり脇役ってほんとに大事なんだよなーと思います。

おとぎばなしの住人が、現実の世界で手に入れた“Happily Ever After”なエンドマーク。でもやっぱりこれは充分におとぎばなしだよなあ・・・と思いつつ、またきっと明日も映写室からジゼルとロバートの恋物語を覗くことになりそうです。

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2007年5月18日 (金)

『ママの遺したラヴソング』  川のほとりで、大好きな人たちと

お色気過多ではないS.ヨハンソンが、とてもよいです。

Bobbylong_70428_1_1 『ママの遺したラヴソング』(2004 米)

幼いときに離れ離れになって以来音信不通だった母・ロレーンが亡くなったという知らせを受けて、パーシーは母が住んでいたニューオーリンズの家へ向かう。そこには見知らぬふたりの男、ボビーとローソンがいた。
自分たちはロレーンの友人で、ここにずっと住んでいた。ロレーンは自分たちにこの家を譲ると言っていたと主張するボビーたち。一緒に暮らしていた恋人と別れてきて行く当てのないパーシーは、仕方なくボビーたちと一緒に住むことにする。最初こそ言い争いが絶えず一触即発のような状態だったが、一緒に暮らすうちにだんだんと‘家族’としてお互いを必要とするようになるパーシーたち。
母が愛し母に愛された人々に囲まれ、彼女のことを少しずつ知っていくパーシーは、やがて母の大きな秘密に辿り着くことになるのだった。

以下ネタばれ。

パーシーのお母さん・ロレーンは歌手であり、また読書家でした。パーシーはお母さんの愛読書である『心は孤独な狩人』を見つけて、一晩で一気に読んでしまいます。
この『心は孤独な狩人』という小説、大学生の時にアメリカ文学史の教科書に載っていて興味をひかれました。読みたいと思いつつもその後忘れてしまって(・・・)、しかしちょうど去年の今頃びあんこさんが記事にされていたのを拝見して思い出し、そしてまた忘れ(・・・・・・)、それから1年経った今またこの映画の中で再会したのでした。これはやっぱり「読みなさい!」と言うことなんでしょうか。でも廃刊になっているみたいだし、それにものすごく滅入りそうだし・・・。だけどやっぱり気になるなあ。

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この、部屋の中に差し込む光の感じとパーシーのドレスがとても素敵でした。

彼女たちが暮らすニューオーリンズの町は、かなり寂れてうらぶれた雰囲気。それに夏はものすごく暑くて冬はけっこう寒い(みたい)。しかし、近くを川が流れています。
最初の頃はとてもすさんでとんがっていた、S.ヨハンソン演じるパーシー。その彼女が、ふたりの男たちとの生活の中で本を読み勉強し、だんだん変わっていく様が印象深いです。あの川べり(ミシシッピ川、なのかな)を散歩したり、少し涼しくなった夏の夕方に近所の人たちと家の外で歌ったり語り明かしているのを見ると、その変化も納得。わたしもあの川の土手を散歩したい。

ところで、彼女のパーシーという名前は略称で、本当は‘purslane(パースレーン)’。母親が花の名前を付けたのだそうです。以前書いたように『グリーンフィンガーズ』でも花の名前を持つ女性が出てきますが、やっぱりいいですねえ・・・。

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これがpurslane(字幕では‘スベリヒユ’となっていました)。
この映画でこういう花があるんだと初めて知ってしばらく経った後、花屋さんで‘ハナスベリヒユ’の苗を見つけたので買ってしまった。
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パースレーンとはちょっと種類がちがうようですが、うちのハナスベリヒユ(ポーチュラカ、というらしい)。あと二種類植えました。

パーシーは、自分のお父さんが誰なのか知りません。そして幼い頃にお母さんに捨てられたという心の傷があります。
ママとの楽しい思い出を望むあまり自分で記憶を作り上げてしまって、本当にあったこととそうでないこととの区別がもうつかないとボビーに自嘲気味に話すパーシーは、とても痛々しい。しかし作り上げたと彼女が思っていたその記憶が実は本物だったのだとわかったときは、ホッとしました。
そしてパーシーのせりふでもうひとつ心に残ったのがこれ。

「わたしだって、小さい時は子供っぽくて可愛らしいことをしていたはずなの。でも、誰もそれを見ていてくれなかったの」

その過去は、もう変えられません。しかしこれからのパーシーを見ていてくれる人はたくさんいるのです。誰かを愛しまた愛されることで彼女もそれに気付き、物語は幸福に終わります。とても優しい、穏やかな映画でした。

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この場面がすごく好きだった。

最後にひとつ。ボビーは元大学の文学部教授で、ローソンはその教え子でした。文学に造詣の深い彼らは、作家や詩人の名言を口にしては誰が言った言葉なのかを当てっこするのですが、その中のひとつにわたしはものすごく反応してしまいました。『ブロークバック マウンテン』の、‘二人の離ればなれの辛い人生にほんの一瞬訪れた、嘘偽りのない、魔法のような幸福な瞬間’ ― この部分のことを言っているようで。

“幸せは、長さの不足を高さで補う”

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2006年9月 8日 (金)

『マッチポイント』  運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど・・・

‘運がいいとか~、悪いとか~、人は時々~口にするけど~’と歌ったのはさだまさし氏ですが。
みなさんは自分を運がいい人・悪い人どちらだと思われますか?
私の場合、スーパーのレジに並ぶ時ヨシここだ!と選んで並んだところが結局一番遅かったり、ちょっと気を付けたら防げたはずの仕事上のミスを見逃してしまって後でギャア~ッとなったり。でもその一方でBBMのパンフレットに当選できたし、自分でもよくわかりません。
この『マッチポイント』という映画のテーマは、ずばりその‘運’です。

Matchpoint_0907_3_3  『マッチポイント』
 ‘MATCH POINT’
 (2005 米・英)

主人公のクリスは元プロテニスプレイヤー。今は引退してテニススクールでコーチをしています。
ある日、資産家の息子であるトムが新しく生徒としてやってきました。彼と親しくなったクリスは、トムの家族(とりわけ妹のクロエ)にも気に入られ、トムの父親の会社で働くようになり、やがてクロエと結婚します。クリスの人生は順風満帆のように見えました。
しかし、クロエと結婚する前にクリスはひとりの女性と出会っていたのです。それは、トムの婚約者であるノラ。魅力的で妖艶な彼女は結婚した後もクリスの心を悩まし続けます。そしてついに一線を越えてしまうふたり。罪の意識に苛まれ一度はクリスに別れを告げるノラでしたが、あるきっかけで結局また逢引を重ねるようになってしまいます。クリスの、周りの目を気にしながら妻と恋人の間を行ったり来たりする生活が始まりました。
彼の追い風人生は、一体どうなってしまうのでしょうか?

以下ネタばれ。

わたしがこのブログで紹介させていただいた映画には、どれも絶対‘愛’がありました。しかし、断言しますがこの『マッチポイント』には愛はありません。少なくともわたしが他の映画たちに感じたような愛はなかったと思います。なんだか監督自身がこの映画の登場人物たちに愛を抱いていなかったのかしら?と思うほど、彼らはえらく突き放されて描かれているような気がしました。
クリスをはじめ、どの登場人物もどこか‘はあ~~~???’と言いたくなるような人ばかり。詳しく書くとものすごく辛らつな物言いになってしまいそうなのでやめておきますが、とにかくわたしが今まで観てきたW.アレンの映画に出てきていた‘情けなくも愛すべき小心者’とはなんだかかけ離れているのです。はっきり言って、わたしはこの映画に出てくる人みんな好きじゃない。観ていて、この人たちがどんなに大変なことになろうとどうでもいいやーとまで思ってしまったのでした。まあ貧乏人のひがみと言ってしまえばそれまでですが~。

Matchpoint_0907_2 一介の(?)元テニス選手から、今ではお抱えの運転手付きの車を乗り回し何でも経費で落とせるような身分にまでなったクリス。それまでの‘運の良さ’で今回も乗り切れると思ったのかどうかは知りませんが(いくらなんでもそこまで馬鹿じゃないかな)、彼はクロエとの生活も、ノラとの情事も続けようと頑張ります。しかし、とうとうその二重生活?にも限界が訪れ、決断を迫られるクリス。偶然出会った昔の友人にこの厄介ごとについて相談する彼ですが、その時のせりふにまた‘あーもうコイツ馬鹿。お前がどうなろうとほんとにアタシの知ったこっちゃないよ’と思わされてしまいました。問題のせりふはこんな感じ(奴に呆れるあまり記憶違いしているかもしれませんが);

「恋人の為に全てを捨てる必要があるだろうか?」

ね、もう馬鹿でしょう???イニスとジャックは20年間あんなに苦しんだっていうのに、こいつは、こいつは~~~。あーもうムカつく。
そしてクリスは、わたしをムカつかせたままある行動に出るのですが・・・。

完全にネタばれになってしまうのでここから先の物語には触れませんが、最終的にはひとりの人物(Aさんとしておこうかな)が‘マッチポイントを取って試合に勝利する’ことになります。
Aさんは‘運が良かった’のか?刑事はなんとなく間抜けで、周りの人はいまいち鈍感。Aさんが何を企んでいるのか、そんなことには考えも及ばない(考えついてもそれを証明できない)人たちばかり。外野がこんな感じだったということも、‘運’のひとつなのでしょうか。だとしたらAさんの‘運の良さ’は本物だったのかもしれません。

Matchpoint_0907_1_1 テニスの試合では、ボールがネットにぶつかって弾み、どちら側に落ちるかで試合の勝敗が決定してしまうことがあるそうです。冒頭でのクリスの言葉;

“運が良ければ向こう側に落ちて試合に勝ち、運が悪ければこちら側に落ちて負ける”

さて、‘試合に勝利した’Aさん。この人は、自分はマッチポイントを取った!と今のところ確信しているようです。しかしわたしは、「一生罪の意識を背負って生きていく」とか言いながらも浮かれている(ようにわたしには見える)Aさんが取ったのは、‘マッチポイント’ではなくただの‘セットポイント’だったんじゃないかなあと思いました。だって人生は長いんだもん。絶対にバレないなんて保証どこにもないんじゃない?
まあ、そうとでも思わなければ地道に生きている(?)大多数のひとりとして人生やってられないっつの、というのが本音ではあるのですが。
あーもうムカつく、しかし面白い映画でした。でもやっぱりムカつく割合の方が高いかな、キーッ(←まだムカついてる)。

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