映画・は行

2008年3月25日 (火)

『バンテージ ポイント』  一体何人死んだんだー!

これまた予告でスタッフを沸かせた作品。このポスターかっこいいですね。

Vantagepoint_80320_4 『バンテージ ポイント』 (’08 米)

この作品のような、同じ出来事をいろいろな視点から見たり時間軸をいじくったりする話というのは古今東西老若男女を惹きつけるものらしく、公開初日は映画館側の予想を裏切るくらいのお客さんの入りでした(わたしは最初っからけっこう入るんじゃないかと思ってたけどねーだ←自慢)。

8人の目撃者が見たものを通じて事件の真相が少しずつ暴かれていくので当然時間が何回も巻き戻るわけですが、正直言って「うーん、またか」と思わないわけではなかった。ちょっと前に公開されて巷ではかなり評価が高かった(らしい)『バタフライ エフェクト』を思い出しました。あの映画も、最初はかなり引き込まれて観てたけど途中からちょっとうんざりしてしまったので。
しかし『バンテージ』の方は巻き戻るたびに新たな事実が判明していくので、「またかー」と思ってもうんざりしている暇はありません。しっかり観ないといけない。うー製作側の思う壺。

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大好きS.ウィーバー。もう少したくさん出番があったらよかったな。

以下ネタばれ。映画をご覧になる予定の方は読まないでください。

あの犯人たちがどういう組織に所属していて、どういう目的で大統領を誘拐しようとしたのかが(それなりに予想は付きますけども)全く描かれていないのがわたしにはかなり不満でした。
同じく、大統領側に裏切り者がいるんだろうなというのはまあなんとなくわかってたけど、彼がどういう人でなぜ裏切ったのか、最初から大統領を誘拐する目的でSPになったのかなんてことも結局不明なままだったし。
もう半リールくらいの長さがあったらそこのとこも描けただろうけど、しかしあのテンポと緊迫感を損なわずにそれを描くのはけっこう難しいかもしれない。うーむ悩むところです。でも、プロの脚本家ならそこのとこもうまくやって欲しいんだけどと思うのは欲張りすぎでしょうか。

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中央の彼、予告の時からかっこいいなーと思ってたら、ずいぶん前に別の作品でもときめいたことのある役者さんでした。濃ゆい顔が好きなんだろうか、わたし。

緻密な計画を立て、用意周到に準備をして、最先端の技術を駆使し、ほとんど成功しかけていた作戦。しかしいくつかの偶然のせいで、その成功は夢と消えました。
爆発の後カメラマンが逃げていくのをD.クエイド演じるSPが見なければ、彼はテレビの中継車の存在を思い出さなかっただろうし、あの混乱でお母さんとはぐれた女の子が道路を横切らなければ、犯人たちはそのまま逃げ切れていたはず。極悪非道のテロリストにも少女を轢き殺すことはできなかったんだなあ。あんなに何人も殺したのに。

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F.ウィテカーの場面ではちょっと和んでしまった。彼の瞳はキラキラしてる。

終わってみれば、実は大統領狙撃から犯人射殺までたぶん長くて1時間ぐらいしか経ってなかったというなんとも素晴らしいスピード解決。でも死人の数が多すぎ。それがテロという行為なんですね・・・。

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2007年4月15日 (日)

『パリ、ジュテーム』  贅沢さここに極まれリ

フランス映画を最近観ていない・・・。一番最後に観たフランス映画ってなんだったけ?と首を傾げなければならないほど観てないのです。
でも考えてみると、わたしはどちらかというとフランス映画は苦手なほう。観ている本数も元々そんなに多くありません。おしゃれさんに対するコンプレックスがあるから、‘フランス映画=おしゃれ’という意識の強いわたしは「どうせ観てもわかんないだろう」と思ってしまう。ほんとはゴダールとかトリュフォーとか、すごく憧れるんですけど。
なんだかんだ言ってやっぱりアメリカの映画をたくさん観てる自分に納得のいかないものを感じつつ久しぶりに観たフランス映画は、しかし大満足の作品でした♪

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『パリ、ジュテーム』 (2006 仏・独・リヒテンシュタイン・スイス)

リヒテンシュタインって、どこなんだろ?『ロック ユー!』ではヒース演じるウィリアムの偽りの名前が‘サー・ウルリック・フォン・リキテンシュタイン’でしたけど、ここの出身という設定だったのでしょうかね?
と、それは置いといて。
いろいろな国の監督・俳優陣が、パリにいるさまざまな人々の生活・出会いや別れを描いたオムニバス映画です。だから純粋には‘フランス映画’とは言えないのかもしれませんが。

こういう映画の注目点のひとつはやはり豪華な監督・キャストだと思うんだけど、こんなにすごい人たちがよくまあ集まったもんだなあと感心。18ある物語のほとんどが当たりだったのも驚きだし、短い話がこんなにたくさんなのに全くせこせこしていないのもすごい。むしろゆったりとした気分で、いつまでも観ていたくなっちゃう。
5分間という制約なので、ほんの数時間の出来事だったり長い期間の話も短縮してあったりなのですが、それがかえって効果的というか。どれも「ああ~、もうちょっと先まで見せてほしいなあ~~~」というところで終わっているんです。

Parisjetaime_70412_2_1  この話や、

Parisjetaime_70412_3_1 この話も。どうなったんだろ?気になる。

パリを舞台にしたオムニバス映画といえば『パリところどころ』だけど、大昔にビデオで一度観たきりなのでほとんど覚えてません(←ダメダメ)。なんかわたしにはやはりちょっと難しかったような・・・?それに比べて、地元出身の監督に加えて他の国の人たちがその目線で撮った作品も入っているこの『パリ、ジュテーム』の方は、率直に言ってとてもとっつきやすかったのでした。「わー、これならわかるよ!」という感じ(レベル低い・・・)。
それにしても愛に溢れた幸せな映画体験!レディースデイの1000円でとびきりの贅沢ができました。すごく得した気分。

以下は、フランス映画にたくさんチャレンジしてみたいなあという気にさせてくれた18のお話の、ちょっとした感想です。

Parisjetaime_70412_6 さすがの貫禄のおふたりでした。

1.モンマルトル
孤独な男が光を見つけるお話。でもコメディ。人生の理不尽についてずーっとひとりごとの文句をたれながらも実は小さな幸せを求めている主人公に、親近感が沸きます。がんばってね。

2.セーヌ河岸
パリジャンとアラブ系の女性の間に芽生えたささやかな、でもれっきとした恋。これも主人公の男の子にエールを送りたくなる。恋する男の底力を見せてくれー!

3.マレ地区
言葉の意味は伝わっていなくてもお互いに何かを感じたのは確かなこと。走り出した青年は、果たして目指す相手に出会えたのだろうか?きゃ~、ギャスパー!

4.チュイルリー
パリの地下鉄でえらいトラブルに巻き込まれてしまった観光客の男。ひと言もせりふがないのに、ブシェーミのでっかい瞳はとても雄弁。それにしても災難だ・・・。でも笑っちゃう☆

5.16区から遠く離れて
華やかな都のもうひとつの現実。16区にいながら、16区からいちばんかけ離れた存在の彼女。でもその小さな歌声に、貧しい移民の赤ん坊もブルジョア家庭の赤ん坊も安心感をもらうのです。

6.ショワジー門
フランス人シャンプーセールスマンが、チャイナタウンの美容室で大活躍。なんだかよくわかんなかったけど、カラフルでにぎやかなお話でした。ちょっとハードボイルドなミスター・アイニー。

Parisjetaime_70412_5 彼のフランス語はお粗末らしいです。

7.バスティーユ
妻を捨てて若い愛人の下に走ろうとしていた男が、あることがきっかけでもういちど妻に恋をする話。うーんフランス(でも監督さんはスペインの方で、出演者も全員フランスの俳優さんではないんですけど)。妻のお気に入りの歌、赤いコート。彼がもう恋をすることは、ないのかな・・・。

8.ヴィクトワール広場
幻のカウボーイに導かれて、亡くした幼い息子に再会する母親。やはり‘会いたいと思えば、いつでもどこでも会える’のです。デフォーのカウボーイ姿を目に焼き付けろ!なんちゃって。

9.エッフェル塔
パントマイム芸人とその妻の風変わりな馴れ初めの話。存在しないバスも、彼らには見える。でっかいランドセルをかるって駆け出す男の子の笑顔がとてもいい。

10.モンソー公園
歳の離れた男女が歩きながら繰り広げる痴話喧嘩と思いきや、実は・・・。ニック・ノルティとリュディヴィーヌ・サニエ(←大好き)とは、なんと濃い組み合わせ。でも微笑ましいお話でした。

11.デ・ザンファン・ルージュ地区
パリに映画の撮影に来たアメリカ人女優とドラッグの売人の間に生まれた恋? マギー・ジレンホール、フランス語上手なんですねえ。彼女の独特の柔らかい雰囲気、やはり好きです。

12.お祭り広場
医学生の女性と、彼女に手当てされている負傷した男性。実は2人が出会うのはこれで二度目で・・・、というお話。彼はきっとあのコーヒーを飲めたはずだと、わたしは思います。

Parisjetaime_70412_4 粋な組み合わせ、粋な会話。

13.ピガール
歓楽街で出会った男と女。ある覗き部屋の中で、ふたりに何かが起ころうとしていた・・・。ファニー・アルダンかっこいい~。洒落た雰囲気の、大人のお話でした。

14.マドレーヌ界隈
バックパッカーの青年が夜に街中で出会ったのは、美しい吸血鬼。彼女に恋した彼は、自ら進んで血を吸われようとするが・・・。サイレントのモンスター映画のような、日本の昔話『雪女』のような。イライジャが頑張ってるのをみると嬉しい♪

15.ペール・ラシェーズ墓地
結婚前の一足早い新婚旅行でパリを訪れたイギリス人カップルに、破局の危機が訪れる。いったい彼らはどうやってそれを乗り越えたのか? オスカー・ワイルドは男女の喧嘩の仲裁もできるんだ!仲人に向いてます。皆さんいかがでしょう???

16.フォブール・サン・ドニ
恋人から突然別れを告げられた盲目の学生が、彼女とのそれまでを振り返る。いかにも映画的な、ロマンチックな出逢い。でも、並んで歩いていたつもりがいつの間にか・・・というのは現実の世界でもたくさん起こっている。手遅れにならずに済んでよかったね。

17.カルチェラタン
何年も別居してきて、やっと正式に離婚することになった初老のアメリカ人夫婦の物語。長い時間を共に過ごしてきたふたりのやりとりと、ひと言では言い表せない気持ち、相手に対する思い。いちばん好きなお話でした。

18.14区
教室に通ってフランス語をなんとか習得し、初めて憧れのパリに一人旅でやってきたアメリカ人中年女性。故郷から遠く離れた異国の地で彼女に訪れた、幸福な瞬間。そんな瞬間を迎えることが、わたしにもあるのかなあ・・・。

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2007年4月 8日 (日)

『初恋のきた道』  曲がりくねった一本道のその先に

また一週間も間が空いてしまいました・・・。
食べ過ぎによる腹痛に始まり(死ぬほど苦しかった~)、姉夫婦のプチ帰省とお墓参りで忙しかったこの一週間。そうこしている間に「咲いたー!」と喜んでいたポピーもあっという間に散ってしまいがっくりです。

先日の記事にも書いた、3月いっぱいで閉館した映画館にこの前また行ってきました。アンコール上映のリクエストの上位5作品の中に『初恋のきた道』が入っていて(もちろんわたしも一票入れました)、3日間だけ上映されることになったからです。

初恋のきた道 DVD 初恋のきた道

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2006/11/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

父親の突然の死を知らされ、何年かぶりに故郷の村へ戻ったションズ。
自宅から遠い町の病院に安置されている父の遺体を村に移すことになったが、ションズの母は、車で運ぶのではなく昔からの風習どおりに人に担いでもらって連れて帰りたいと頑固に言い張る。それは無理だと村長や息子は母を説得しようとするが、彼女は全く耳を貸さない。そんな母を見て、ションズは村の語り草になっている父と母の恋物語に思いを馳せる。
それは1950年代、文革の真っ只中での出来事。母はまだ18歳、父は20歳だった・・・。

公開当時この映画を「ただのチャン ツィイーのプロモーションビデオ」と切り捨てていた人がいて、なんて穿ったものの見方をする人なんだろうとちょっと(正直に言うとだいぶん)嫌な気分になったのですが、冷静に見ればその通りなのかもしれません。
初めて鑑賞したときには後半泣きっぱなしだったのが、今回は何度目かの再見だったこともあってかかなり落ち着いて観ることができました。で、そうなると、しつこいぐらいに繰り返されるツィイー嬢のアップが確かに気にならなくもない。監督は彼女を撮りたくて撮りたくてたまらなかったのねーと、なんだか現実的(?)な感想を抱いてしまったのも事実です。
でも。プロモーションビデオと言われようがなんだろうが、やっぱりこれはこれでいい。「撮りたくって撮りたくって~」となるのも無理はありません。だって、本っ当に可愛いんだもん。
そういえば去年公開された『単騎、千里を走る。』(←好きだった~)も、監督が高倉健さんを撮りたくて作った映画だったと聞きました。巨匠に対して失礼かもしれないけど、チャン イーモウ監督ってそういう人(どういう人?)なのねと親近感を抱いてしまいます。

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このお下げ髪に太刀打ちできるわけがない!まあ最初っから挑まんけど。

以下ネタばれ。

若き日のお母さん・ディ(チャン ツィイー)は、村に初めてできた学校で教えるためにやって来たルオ先生に一目ぼれします。でもこの先生が、(中身はともかく)わたしの趣味ではない。なんだかどうにもサエないしパッとしないんだもの。
なのに映画を観進めるうちにだんだんかっこよく思えてきて、待ち伏せしていたディと目が合った先生が微笑みながら会釈をする場面では、なぜかいつもわたしまで「きゃっ、頭下げた!」とときめいてしまうという。ディの嬉しさと先生の照れくささが、観ているこちらにも伝染してしまうのです。
その後の、「先生が名前を聞いたよー!」という子供の叫び声も微笑ましい。

この物語の舞台である村はとても寒い地方にあるらしく、ディはいつも分厚いちゃんちゃんこか半纏のような上着を着ていて、はっきり言ってしまうとかなり不恰好です。
しかし、先生を見つけた嬉しさに駆けだしてしまうディ、家にご飯を食べに来た先生を戸口に立って出迎えるディ、町に連れ戻される先生を息せき切って追いかけていくディ。彼女のいろいろな姿を観ると、そんなのどうでもよくなってくる。というより、その‘着膨れた不恰好さ’こそが魅力的に映るのです。

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籠をわざと道に忘れて、先生に声をかけさせたりするディ。なかなか策士です。
でも許す、可愛いから(←もうわかったって)。

この映画の物語はなんてことない他愛ないものかもしれません。でも、‘話のない単なるチャン ツィイーのプロモーションビデオ’と見てしまうのはやはりもったいない。もちろん一番の見どころがツィイー嬢であることに間違いはないけど、その他の細かな部分にも監督の描きたかったものがたくさん詰まっているように思います。

町に帰る先生を追いかけていくときに転んで割ってしまった大切な思い出の器を捨ててしまわずに、「娘のために」と修理してもらうお母さん。その修理を請け負った職人さんの手つきの優しさ、そしてその出来上がりの丁寧さ。
厳しい寒さの中、先生の帰りを待ちわびて立ち尽くしたせいで病気になってしまったディと、その恋の行方を心配する村人。
先生の遺体を担ぐために各地から集まった元生徒たち。
のんびりと大雑把そうに見えて実は心の機微に敏感な人々が大勢出てくるのです(こういうところも『単騎~』と同じですね)。
そして、例の器に描かれた青い花や、学校の障子窓に貼られた赤い切り絵の花と、ディが自分で織った赤い布。手作業でひとつひとつ丁寧に仕上げられていくものたち。また、何十年も小さな村の小さな学校の教壇に立ち続けた先生と、生徒たちによって吹雪の中をゆっくりゆっくり故郷へと運ばれていく先生の遺体。いろいろなものに、共通の要素があるような気がします。
それから、村を囲む自然のなんと美しいこと。モノクロで撮られた現在とカラーで描かれる過去の対比にも、当然何かの意味を見つけたくなりますし。

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エンドクレジットで、駆けていくディの後ろ姿がストップモーションになるところでは変わらずに目を潤ませてしまいました。あの音楽を映画館で聞けてよかった。そして、もう一度大きな画面でディたちに会えて、本当によかったです。
シネサロン パヴェリアさん、長い間ありがとうございました。

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2007年3月23日 (金)

『パフューム ある人殺しの物語』  天使と呼ばれた殺人者

途方もない映画です。
これは映画館で観たほうがいい。暗く閉ざされた空間で観ると、迫り来る匂いのせいで自分の五感も研ぎ澄まされてくるような気さえしてきます。DVDではこの魔力も半減してしまうのではないかな。

Perfume_70320_1_3  『パフューム ある人殺しの物語』(2006 独・仏・西)

18世紀、悪臭立ち込めるパリの魚市場で産み落とされたジャン=バティスト・グルヌイユは、人並みはずれた嗅覚を持っていた。ある日偶然出会った少女の香りの虜となり、‘香りを捉える’ことを己の仕事と定めたグルヌイユは、調香師になる。
雇われ先の香水店の店主から教えられた‘究極の香水’を作るため、彼がとった行動とは・・・。

わたしの五感は並、いや並以下かも(ついでに音感も第六感もない)。だから、そういったものに鋭い人が日頃どのように感じながら生活しているのかは想像することしかできません。きっといろいろな情報が絶え間なく入ってきて大変だろうなあ、鈍くてよかったなあなどとのんきに考えてしまいます。一体本人たちにとってはどうなんだろう?‘鋭くてよかった’と思うのでしょうか、‘こんな能力はありがたくない’と思うのでしょうか。

果たして、グルヌイユの尋常でない嗅覚は天からの恩寵だったのか、呪いだったのか。

以下ネタばれ。

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主人公の登場のしかたのなんと不気味なことか!闇の中でぎらぎらと光る瞳、でも顔ははっきりとは見えず、表情も読み取ることはできない。
しかし物語が進むにつれ、不気味な彼を哀れに感じるようになる。こんなに彼の側に立って映画を観ることになろうとは思いもしませんでした。グルヌイユがB.ウィショーだったからということもあります、絶対。

彼を手放した人々がまるで運まで一緒に持ち去られたかのようにいとも簡単にあっけなく死んでいくのを見ると、グルヌイユはやはり何かに守られているのかと思う。
しかし同時に、神様?は彼に香りについての特別な才能を授けたにも関わらず、彼自身にはその価値観の中で最重要事項である‘匂い’を与えなかった(←『アマデウス』のサリエリを思い出します。やはりわたしはこういう人物に反応するようにできてるみたい)。なんてひどい仕打ち・・・。
でも、グルヌイユの世界にあるのは‘香り’だけ。誰も教えてないから‘神様’なんてものを知るはずもない。だから神を恨むという方向には行かず、ただただ‘香り’という自分の存在証明を追い求める。実はとっても無欲なのかもしれないと思うのは、不謹慎でしょうか。

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悪魔のような殺人者を破門にするといきり立つ司教と町の人々。それと交互に映し出される、淡々と女性を殺して着々と香水を集めていくグルヌイユ。悪魔と言われようが破門されようが、(神様と同じく)そんなのは彼にとってはどうでもいいことなのだと、このモンタージュで思い知らされます。

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不謹慎ついでに言うと、最後の‘特別な要素’であるローラを殺そうとするとき、ほんの少しだけ香水を完成させてあげたいなあという気持ちにもなってしまいました。もちろん、殺さないでほしいという思いのほうが圧倒的に強かったんだけど。

遂に香水を作り上げ、その途端に逮捕されるグルヌイユ。
彼はまさに処刑されようというそのときに香水を披露しますが、無罪になろうという意図からではなく、ただ、この究極の香水に人々がどんな反応を示すのか、彼らにどんな影響を及ぼすのか、自分の成果と存在価値を確かめたかったのだと思います(ねらいどおり期待どおりにこの香水で陶酔・狂乱状態になった人々を見て、さらし台の上で腕を振り上げ自分を誇示するグルヌイユ。・・・うう)。

その後の、彼の圧倒的な、どうしようもない孤独。
究極の香水に心の奥深くの‘愛する心’を刺激されそれを実践しても、そのきっかけをつくった本人を見ている人は誰もいない。やはり彼は存在しないのです。そのうえ、娘の仇として彼を憎んでいた(唯一彼の存在を認めていた、と言っていいと思う)父親までもが、許しを乞いグルヌイユを抱きしめる。
にせもの以外の何ものでもない、香水の香りがなくなると同時に消え失せてしまう、恥だという理由で忘れ去られてしまう愛。グルヌイユの作った‘究極の香水’がもたらしたのは、そんなものでした。
そして香水は、“彼を人並みに愛し愛される存在に変えることはできなかった”のです。

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原作には、グルヌイユがクライマックスのあの状況で彼女のことを思う場面はなかったらしいです。えっ、ここがこの物語の肝なんじゃないの?と意外に感じたのですが、製作の方々は原作を読み込んだうえであえて脚色されたのでしょうね。ちょっとBBMに似ているかも。

香りを捉えることがグルヌイユの生きる意味だった。でも本当に捉えたかったのは、あのとき出会った彼女の香り、そして彼女自身だった。そのことに、そしてその機会は永遠に失われてしまったのだということに気付く彼。貪欲に香りだけを追い求め本能に従って生きてきた、動物のようだったそれまでのグルヌイユが人間になったそのとき、彼の絶望は決定的になります。
導かれるように生まれた場所に戻り、無に還るグルヌイユ。兄弟たちとは違い、ありったけの泣き声をあげて生きるという強い意志を示した彼の、あの最後。彼は何のために生まれてきたんだろう?と、暗澹たる思いに包まれました。彼はあれでよかったとしても、です。

わたしの大好きな漫画の中に、こんな感じのせりふがあります。

 「もし彼を犯すのではなく 優しく抱きしめてくれる腕があったなら
  いや もうよそう
  彼には選択肢などなかったのだから
  これまでも そしてこれからも・・・」

グルヌイユは犯されたりはしなかったけどさ、まさにこの通りやん。
帰り道、このせりふがずっと頭の中をまわり続けていました。そして、ここまで彼の肩を持つ自分は少しおかしいのかもしれないなあと思いながらも、そういえばグルヌイユの笑った顔ってほとんど見なかったなあ・・・と考えてしまったのでした。

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2006年8月19日 (土)

『ピンポン』  I can fly!ヒーローへの道

男の子同士の友情を描いた物語が好きです(愛情でもいい)。そういう映画の筆頭といえばやっぱり『スタンドバイミー』なのですが、『スタンドバイミー』は8月の終わりに観る!と決めているので、その前哨戦として(?)青春卓球映画『ピンポン』を観直してみました。しかもこれも夏の映画だった!男の子と夏って、なんか、なんか雰囲気ありますよねえ。

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ペコ(窪塚洋介)=自分の才能を過信して墜落しかける‘ヒーロー’。スマイル(ARATA)=能力を発揮しようとしないクールな天才。アクマ(大倉孝二)=劣等感を克服するために努力し続ける凡人。チャイナ(S.リー)=上海から留学してきた、崖っぷちのエリート。ドラゴン(中村獅童)=勝利が宿命となってしまい、卓球を続けることに半ば苦痛を感じている、名門卓球部のキャプテン。
‘ピンポン’に賭ける高校生たちの、成功・挫折・対立・友情。そして彼らを支える人々を描いた作品です。

以下ネタばれ。

実際に観る前、今時の若者向けの単なるおしゃれな雰囲気映画(こういう言い方で伝わりますでしょうか?)だったらいやだなあと思っていたわたしの根拠のない偏見は、鑑賞後すっきりさっぱりそれはもうきれいに洗い流されてしまいました。
何度観ても何度観ても、ペコとスマイルの深い絆(恥ずかしいけどこの言葉を使っちゃう☆)に憧れ嫉妬し、その一方で、アクマやチャイナやドラゴンたち‘ヒーローにはなれなかった奴ら’の苦悩や悲しみに圧倒されるわたし。この映画の人物描写の繊細さ、かなりのものだと思います。

Pingpong_0813_2

幼なじみだったペコ・スマイル・アクマ。三人はいつも卓球をしていました。①ペコ ②アクマ ③スマイル という順位を覆すべく、いちばん熱心に練習に励んできたアクマ。しかし運命は残酷で、アクマが(そしてペコが)予想もしなかった展開が待っていました。ペコには勝ったもののスマイルに負け、アクマは自分の限界を知るのです。彼のスマイルに対する叫びが痛い。

「なんでだよ!なんで俺じゃなくておめえなんだよ!」

この後、アクマは卓球をやめてしまいます。そしてペコも、自分の才能に自信を失くしていました。スマイルの思わぬ実力を見せつけられたせいで。スマイルはスマイルで、いじめられっ子だった自分を助け卓球を教えてくれた、‘ヒーロー’のような憧れの存在であるペコを追い抜いてしまったことに動揺します。

Pingpong_0813_6 わたしの大好きなアクマ

そして次の年の夏。同じ高校の卓球部に所属していつも一緒に練習していたペコとスマイルが、初めて違うコーチの元で別々に修行をし、迎えた大会。果たしてペコは、スマイルの憧れる‘ヒーロー’に戻れるのか?

ペコとスマイルは、本当にこれ以上ない‘ソウルメイト’。わたしにとっては『BANANA FISH』のアッシュと英二、BBMのイニスとジャックと同じくらいに大好きなふたりだと言っても過言ではありません(ペコが、ジャックを失った後にイニスはこんなことを思ったんじゃないかな、というようなせりふを言う場面もあります)。ペコがピンチに陥ったときにスマイルの声が聞こえてくる場面で、ふたりのつながりの強固さに胸を震わせた方は少なくないでしょう。離れていてもお互いのことを誰よりもわかっているふたりの会話は、愛に溢れています(またかよ、なんておっしゃらないで下さいませ~)。

Pingpong_0813_4_2 「行くぜい、相棒」
「お帰り、ヒーロー」
(↑またスマイルがこのせりふを後ろ向いてペコに聞こえないように言うのです。ああ~)

そしてアクマは、あの傑作『アマデウス』のサリエリであり、わたしの漫画人生のきっかけとなった『ガラスの仮面』の亜弓さん。しかし、天才を見極める能力だけ与えておきながら、最も欲していた音楽の才能はくれなかった神を恨んで凶行に走るサリエリとは違って、アクマは実にかっこいいのです。せりふもいちいちかっこよくて、この映画のキザな部分担当はアクマなの?と思うぐらい。
それにチャイナもドラゴンも実にいい。ペコとスマイルを見守る周りの人々もすんごく素敵。様々な形の、様々な量(?)のを観ることができて、本当に胸が熱くなるのです。うお~っ、自分で書いといてまた観たくなってきちゃう。

テクノな音楽なんてちっとも興味がなく、全部おんなじに聞こえる~と思っていたわたしですが、この映画のエンディングの『YUMEGIWA LAST BOY』を聞くと、歌詞もわからないのに何故か泣けてくる。最後の最後まで、清々しい映画なのでした。

結論:ああ、男の子と夏って、やっぱり、やっぱり、いい。
    そして、‘ヒーロー’とはなんぞや?(←えっ、わかってないの?と自分でつっこむ)

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2006年8月17日 (木)

『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』  出るのはため息ばかりなり

Stoned_0816_1 『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』
‘STONED’(2005 英)

ストーンズの初期のメンバーで、途中で脱退してしまったB.ジョーンズの死の真相を描いた物語。ブライアンの死は事故死か?自殺か?他殺なのか?監督のS.ウーリー氏は取材に取材を重ねて、ひとつの結論にたどり着いたそうです。
“彼の死は、他殺であった。”
ならば殺したのは誰か?

音楽に特別詳しいわけでもなくストーンズのこともほとんど知らないけれど、予告がかっこよかったから、そして話がなんとなく面白そうだったので観てみました。そしたらかなりの拾い物だった!観といてよかった!元々詳しい人が観てどう思うかはわからないけど、わたしは好きでした。

以下ちょっとネタばれ。

容疑者として浮かび上がったのは、ストーンズのメンバーや元恋人、ツアーマネージャーや世話係として一緒に暮らしていた男。この中に犯人がいるのか?なぜブライアンは殺されなければならなかったのか?それを探るために、映画はストーンズが有名になり始めた頃から彼の死までをたどり、ブライアンがどんな人物だったのかを描き出していきます(で、結局どういう人だったのかというと、かなり問題のある滅茶苦茶な人だったらしい)。

彼はヤバイ人だった、というのはこんなポスターを見ればまあなんとなく予想がつくし、ドラッグやら奔放な女性関係やらちょっとおかしい金銭感覚やらにははっきり言ってあんまり興味はわかなかったのですが、ではどこが好きだったのかと言うと、それはオチにつきます。ブライアンの死の理由、なぜ彼が死ぬ方向に運命は動いていったのか。びあんこさんもブログで取り上げられていた、そしてわたしも大好きな『ゴッド&モンスター』を彷彿とさせるような、悲しい、でも納得できる理由がそこにはありました(書かないけど)。

Stoned_0817_1_1ブライアンは言います。「俺はそこそこ幸せだった。でも、幸せというのは退屈なものでもあるんだ」 
だから心から愛していた恋人にもひどい仕打ちをして、何よりも大切なはずの音楽にも真剣でない振りをしたのですか、ブライアンさん。すんごい矛盾です。でもそういう、大事なものを大事にしない屈折した気持ちは、そんなに珍しいものじゃない気もします。・・・なんか、なんか、ああ~。ブライアンは敢えてそういう道を選んだんだろうけど、見てるわたしは辛い。後悔してはいないだろう彼の代わりに、ため息をつきたくなってしまう。ラストのブライアンが明るい表情なのも、かえってわたしには悲しかったりして。こんな見方が正しいのかはわからないのですが・・・(それにしてもつくづくわたしはこういう矛盾した人や、そんな人を描いた作品に弱いのねえと再確認)。

映画の中で犯人とされている人物は今は故人になっていて、死の間際に自分が彼を殺したのだということを告白したそうです。それが本当なのかはたぶんもう調べようもないことなのだろうし、ブライアンが死んだ理由というのも監督の想像による所が大きいのかもしれません。だからやっぱり彼の死の真相はきっとずっとわからないままなんだろうな。でももし事実がこの映画に近いものだったら・・・。やっぱりため息だあ。

ブライアンが水の入っていない空っぽのプールの(『ロードオブドッグタウン』か?)音の反響に目を輝かせて、同居人のフランクと一緒にすごく楽しげに楽器を弾く場面が、彼の音楽に対する思いを表していてとても印象的でした。そんなに好きならもっと大事にしなよバカ~!でもそうはできない人だったんだよなあ。なんか、なんか、ああ~(エンドレス)。

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2006年7月31日 (月)

プルートで朝食を

Pluto_0720_3_1映画をよく観るようになってけっこう経つのに、このごろようやく発見したこと(ほんとに遅すぎて自分でもあきれてしまいますが)。何かを心から求めて、あるいは何かを捨てたくて、でも捨てられなくてもがいている・苦闘している(ジェイクくん言うところの‘struggle’ですね)人々を描いた物語のなんと多いことか。だからいろいろな映画にBBMを見つけてしまうんだなあと勝手に納得しているわたしです。
この『プルートで朝食を』の主人公も、その中のひとり(でも彼女は「苦闘?そんな大変そうな言葉好きじゃないわ~」とか言いそうだけど)。かなり、相当、とってもおすすめの映画です。まだ公開中(だと思う)なので、興味がわいた方はネタばれ部分は読まずに映画館へどうぞ!

アイルランドの小さな町で、両親を知らずに育ったパトリック。幼い頃から化粧品やドレスといったものが大好きで女装癖のある彼は、養子先の家族や学校の先生など、周囲の人から変わり者扱いされていました。でも本人はあまり気にせず、空想の聖人‘キトゥン’に自分をなぞらえ、本当のお母さんに再会できることを夢見る毎日を送っています。
しかしある日、悲劇が起こります。それをきっかけに、住み慣れてはいるけれど居心地のよくない故郷を離れ、大都会ロンドンへとお母さんを探す旅にでるパトリック=キトゥン。でも、女装して一見気ままに振舞っているキトゥンを理解しようとしない人はやっぱりいて、彼(いや、彼女か)を傷つけます。そしてアイルランドという国に生まれた以上、彼女も政治的な問題と無関係でいられるわけがなく(その辺の事情は勉強不足でわたしはよく知らないのですが)、キトゥンや周りの人の人生にもそれは影を落としてくるのです。
果たしてキトゥンはお母さんを見つけ出すことができるのでしょうか?そして、彼女を本当に愛してくれる人は、いるのでしょうか?

以下ネタばれ。

Pluto_0720_2 キトゥンの旅は過酷です。愛した人に裏切られたり利用されたり、テロリストに間違われたり殺されかけたり。たくさんの不幸がキトゥンの身に降りかかります。しかし、彼女を助けてくれる人が、いつも必ず現れる(尋問中にキトゥンを散々痛めつけた刑事までもが彼女の心配をするようになるのです)。‘神は、彼にほんの少しの試練を与えた’というキャッチコピーはほんとにそのとおりなのですが、試練を与えるだけ与えておいて後はほったらかし、というわけでもないような気がします。
ときどき空想に逃げ込むことはあるけれど、どんなにひどいことをされてもどんなに悲惨な状況に陥っても、ヒステリックになったり相手に攻撃的になったり反対に自虐的になったりすることもなく、起こったことをただそのまま受け入れていけるキトゥン(なにかにつけ文句たらたらのわたしからすると、彼女はまるで本物の聖人に見える・・・)。そんな彼女だからピンチに陥ったときも誰かが必ず助けてくれたのではないかなあ、と。彼女のお茶目でチャーミングなところはもちろん大好き。でもそれ以上に、こういったキトゥンの人間離れした美徳のようなものにわたしは(そしてきっとキトゥンの周りの人たちも)とても惹かれました。試練を与えると共に、この‘美徳’の種を、神様はちゃんとキトゥンの中に蒔いていてくれた。そして彼女はその種を自分ひとりで立派に育てていったんじゃないかな・・・と、わたしは思います。キトゥン、すごいよ!

しかし。その聖人のような彼女も、愛情と居場所を必死になって探しているひとりの女の子。幼い頃の彼女をよく知る神父は、キトゥンのことを‘よく笑う子供だった’と表現しました。そして彼は、彼女にはそうするしか術がなかったのだということにも気が付いていました。この神父さんが物語の鍵を握っているのですが、ここでは書きません。そしてキトゥンが旅の末に何を失い、何を手に入れたのか、それも書きません。だってもったいないもーん(『松子』の時もおんなじことを書きましたねえ、わたし)。

そして最後に。この映画を観て、‘苦闘する人々’だけではなく、言わなければならないことを言わなければならない時に言えない人々もやっぱりたくさんいるんだなあということも発見しました。前述の神父のせりふ(確かこんなかんじだった);

「簡単なことほどかえって言えないときがあるんだよ」

こんな悩みは神父さんなんかには無縁のものなんだろうと思っていたけど、そっか、おんなじなのか。しかしここで安心してたらいけないのです。手遅れにならないうちにちゃんと言葉にして言わないと(ねー、イニスくん)。とりあえず周りの人に「ありがとう」と言ってみようかな、などとあまり映画の本筋には関係ないことを決意したわたしでした。じゃあまずこの人たちに。監督さん、キリアンマーフィー氏、こんなハッピーな映画を見せてくれて、ありがとう!

Pluto_0720_1 『プルートで朝食を』
BREAKFAST ON PLUTO
(2005 イギリス)

‘神は、彼にほんの少しの試練を与えた’

ほんの少し、というにはちょっとへヴィーすぎる気がしないでもないけど、この勝負(?)キトゥンの勝ち!ワーイ。

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2006年5月30日 (火)

僕の大事なコレクション(3)

toshi20さんのレヴュー:
http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20060511Illuminated_0528_3_2

以下ネタばれ驀進です。

リスタに案内してもらってついに見つけたトラキムブロド。そこには “トラキムブロドの村民を偲んで”という内容の文章が刻まれた石のプレートが一枚あるだけで、あとは草原が広がるのみでした。リスタはそのプレートの前で、旅の途中で道行く人に尋ねても、誰一人としてその名前すら知る者はいなかったトラキムブロドの、今ではもう彼女しか知らない歴史<村人たちがどのような迫害を受けたか、自分の妹がどのようにして殺されたか>を、ぽつぽつと語ります。その話を、三人はただ聞くことしかできませんでした。

ジョナサンは三人兄弟の真ん中。どちらかというと社交的ではなく、口数も多くなく、自分の気持ちを表すのが苦手なように見えます。家族に関するものだけでなく、食べようとして落としてしまったじゃがいもや畑にいたバッタだとか、一風変わったものまで集める彼にアレックスは尋ねます。「なんでそんな物まで?」ジョナサンはたった一言。「忘れそうで怖いから」 このあやふやでいて印象的な答えが、忘れ去られようとしているトラキムブロドに重なります。
ジョナサンの祖父サフランが亡くなったのは、ジョナサンがまだ4,5歳の頃(だったと思う)。その時もう弟が生まれていたかは分かりませんが、なぜサフランはあの古い写真を自分の息子やジョナサンの兄(もしくは弟)ではなく、ジョナサンに託そうと思ったのでしょうか(サフランが生きている頃にあのペンダントヘッドに興味を示したりしたとか)?
わたしは、彼が‘この子ならきっとこの二つの品物に隠された大切な意味を感じ取り、もしかするとトラキムブロドを探し当ててくれるかもしれない’と考えたのではないかと思います。実際そのとおりになりました。

Illuminated_0528_2 そしてそれだけでなく、この旅のおかげで出会った、‘忘れるのが怖い’と言う青年・‘過去のことなど考えたこともなかった’青年・‘過去を忘れようと努力してきた’老人・‘過去を守ろうとし、過去と共に暮らしてきた’老女。彼らはお互いに影響を及ぼしあうことになりました。
リスタはトラキムブロドのことを次代に伝えることができ、そして戦争が終わったのを知って、これからは外に向かって生きてゆくでしょう。おじいちゃんは過去を受け入れ、自分の人生に自分で決着をつけました(人生に初めて満足しながら)。

別れ際、リスタはジョナサンに指輪(!)を手渡します。それはアウグスチーネの結婚指輪でした。トラキムブロドの村人たちは殺される前に、村の近くを流れる川の川岸に大切なものを埋めていたのよ、と言って。
彼女はジョナサンとアレックスに、「アウグスチーネはなぜ指輪を埋めたのだと思う?」と尋ねます。それぞれ‘生きていた証に?’、‘誰かに見つけて欲しくて?’と答える彼ら。しかしリスタの考えはこうでした。
‘あなたたちをここに導くためだったんじゃないかしら’
(ここでわたしはBBMを、あの2枚のシャツを思い出したわけです。パンフレットの川口敦子さんの評論から引用させていただくと、 “老母に促され2階に上がったイニスはジャックの部屋、その窓辺に座り彼の見たはずの窓外の景色に目をやる。と、その姿を切り取る視線がクローセットの中からのそれに変わる。あたかもそこにいるジャックがクローセットの中へ、そこにある大切なものへと誘うかのように”・・・こじつけかもしれないけど、わたしはこのリスタのせりふを聞いてBBMを思い出し、二重の意味で泣かされてしまったのでした。あーやっと書けた、すっきりした。)

Illuminated_0508_6 その後おじいちゃんの自殺を経て、二人と一匹になった彼ら。旅は終わりました。ウクライナの駅(?)で彼らは別れます。でも、別れたあとも彼らはどこかでつながっていました。
旅の途中でアレックスがシャツを裏表に着ているのをジョナサンが指摘するなにげないシーンがありますが、それがラストに意味を持ってきます。
アメリカに戻ってきたジョナサン。空港で彼は、ウクライナで出会った人びとがここアメリカにもいる、というような感覚を覚えます(うまく文章にできてないんだけど、とっても素敵なシーンです)。そのシーンにかぶさるアレックスのモノローグ、これもまた素敵。
“過去は現在のすぐ隣にあって裏から表を見ている。そう考えると俺の人生も君の人生の隣にあるのかもしれない”(うろ覚えだけど)
最初はジョナサンのことをこの旅を本にしようとしている作家だと勘違いしていた、そのアレックスのほうが、この旅について書いているように(この映画はアレックスが旅を思い返して文章にしていく、という形になっています)。
そして離れたところにいるふたりがトラキムブロドのそばにあるブロド川の川岸の砂を持って、それぞれ祖父の墓の前で微笑んでいるように。

この、重い過去の出来事を語りながらもおとぎばなしでありコメディである不思議な映画は、最後、トラキムブロドがあった場所に作られた墓に、アレックスたち家族が祖父を埋葬するシーンで終わります。父と母が墓を後にし、アレックスとその歳の離れた弟も立ち去り、その場を離れがたそうにしていたサミーデイヴィスJr.Jr.も、アレックスに呼ばれて走っていく。兄弟もそれを追いかけて走り出す。
彼らの人生はこれからも続いていくのだというこのラストを観て、自分が今悲しいのか嬉しいのか分からなくなりながら号泣してしまったわたしでした。

Illuminated_0508_3 「僕の大事なコレクション」
EVERYTHING IS ILLUMINATED
(2005 アメリカ)

‘世界にはあなたの発見を待っている“もの”がある’

わたしを待ってるものって何だろう?果たしてあるのかな?

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2006年5月29日 (月)

僕の大事なコレクション(2)

前回の記事、読んでくださった方いるのかしら・・・、多分まだ公開中なのにこんなにあらすじを書いちゃっていいのかしら・・・と思いつつ、ここでやめるのも中途半端で気持ち悪いので続けます~。しかし変なところで切っちゃったもんです、どうやって続けよう・・・。

Illuminated_0507_2

Bohさんのレヴュー:http://born-to-be-wild.way-nifty.com/boh/2006/05/post_a4da.html

以下、ネタばれまっしぐらです。

旅を続けるうちにおじいちゃんはいつもと違う言動を見せ始めます。思えば最初から少し変でした。‘ワシはもう引退したんじゃ!’ などと言っていたのに、“トラキムブロド” という言葉を聞いたとたんに ‘わかった、やろう’ と承諾したおじいちゃん。いざ旅に出てみると、アレックスの知らない(当然おじいちゃんも知らないはずの)ユダヤの言葉(たぶん)を知っていたり、サミーデイヴィスJr.Jr.を叩いたアレックスにいきなり殴りかかってきたり。そして彼の視線の先にいつもあるのは昼の空に浮かぶ月。アレックスには ‘目が覚めているのに夢の中にいるよう’ に見えます。でもおじいちゃんには、自分たちがどこに行くべきなのかが分かっていました(わたしにはそう思えました)。
おじいちゃんに促されて訪ねていった、ひまわり畑の中にぽつんと建っている一軒家。そこにはひとりのおばあさんがいました。彼女は言います、“わたしがトラキムブロドよ、あなたたちが来るのをずっと待ってたの” と。彼女はあの虐殺を生き延び、トラキムブロドの村人たちの遺品と共にひとりで暮らしていました。そしてこの人こそ、あのアウグスチーネのお姉さん、リスタだったのです。彼女の案内で、ジョナサンたちはかつてトラキムブロドの村があった場所へたどり着きます。

ここまであらすじばっかり書いてもう飽きてきたので(アンタが飽きてどうする)、ここから先はわたしが感じたことをちょっと交えてみます。Illuminated_0528_6_5
アレックスはカンゴールの帽子をかぶって夜な夜なクラブで踊る、今時の青年(ウクライナの今時っていうのがどんな感じなのかは知りませんが)。無邪気にアメリカを賞賛し、‘ニグロ’ という言葉を連発してはジョナサンを困惑させたりします。‘過去は過去、今じゃないことは思い出と一緒に葬り去ればいい’、そう思っていたアレックス。
高校生のとき、世界史をとってはいたけどいっつも赤点か赤点すれすれだったわたし。かと言って日本史に詳しいわけでもないのです・・・。日本人である自分に特別疑問も誇りも持っていない、‘日本人である’ ということの意味なんて考えたことがない。アレックスはそんなわたしと似たようなもんだったと思います(わたしは ‘今じゃないことは思い出と一緒に・・・’ とまでは思いませんが)。‘アメリカさいこー’な彼はきっと外のほうばかり見ていて、ウクライナという国のことやその歴史について、それまで深く考えたことはなかったに違いありません。
一方、そんな彼のおじいちゃんはずっと何十年も自分を偽り続け、自分を‘盲目’だと思い込むようになっていました。辛い過去から目を背けなければ到底生きてはいけなかったおじいちゃん。
少し前に、元日本人兵士がロシアでロシア人として暮らしていた(ちょっと違うかも?うろ覚えです)というニュースがありました。戦争当時20歳だったというその人は、今はもう日本語を話せなくなっているということでした。それは‘日本人である自分’をそこまで否定しなければ生きていけなかったからなんだろうね、と家族で話したのを覚えています。アレックスのおじいちゃんも、その人と同じような気持ちで日々を送っていたのかもしれません。でも、過去を捨てようと思いつめることはかえって過去にとらわれることでもある。ジョナサンに出会い、彼の為に、そして自分の為に、ジョナサンをトラキムブロドへ連れて行く決心をするおじいちゃん。‘辛い過去’の象徴である真昼の月(それは銃殺刑で殺されかけた彼が、意識を取り戻したときに最初に目にした光景だったのです)はやはり空に浮かんでいるけれど、迷いはありませんでした。

Illuminated_0528_1_6 リスタの案内でジョナサンを無事にトラキムブロドへ連れて行って、ひまわり畑の中の家に一行が帰ってきた後、彼女は尋ねます。 “戦争はもう終わったの?” (リスタはずっとひとりで閉じこもって暮らしていたので、終戦のことなど知らなかったのです。) その問いに、万感の思いを込めて “終わったよ” と答えるおじいちゃん。その後おじいちゃんは自ら命を絶ちます。観客であるわたしたちは回想シーンをとおして彼の苦悩を知ることができましたが、孫であるアレックスにはその術はありません。しかし遺体を発見した、ほとんど何も知らないはずのアレックスが感じたことはこうでした。 “なぜこういう道を選んだのかは分からないけど、じいちゃんは初めて自分の人生に満足しているように見えた。” それはあのお調子者であんまり何も考えたことがなさそうだったアレックスが変わったから。それは何故か?

またまたすごーく長くなってきたので、(2回で終わらせたかったんだけど)以下次号とさせていただきます・・・。何も考えないで行き当たりばったりなのがまる分かりですね。ふう。次の回ではBBMにつながる記事が書けるはずです、たぶん。

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2006年5月25日 (木)

僕の大事なコレクション(1)

Illuminated_0508_2_2 「僕の大事なコレクション」は、BBMに次ぐわたしの2006年上半期ベスト映画です。今日2回目を観てきました。そして、(やっぱりこじつけだとは分かっているのですが)この映画にもBBMを思い起こさせられました。

以下、ストーリーを全部書く勢いでネタばれです。とりあえずあらすじを。(今回長ーくなりそうなので、2回に分けようと思います。)

主人公ジョナサン(原作者と同じ名前)の収集家としての人生は、彼がまだ幼かった頃、祖父のサフランが亡くなった日に始まります。ベッドに横たわる祖父の亡骸のそばにあった、琥珀(?)の中にこおろぎ(?)が入っているペンダントヘッド。それが彼の最初のコレクションになりました。それ以来家族に関するものを集めるようになったジョナサン。成長するにつれ彼のコレクションはどんどん増えていきますが、そのきっかけを作った祖父にまつわるものは、あのペンダントヘッドだけでした。

ある日のこと。祖父と同じようにベッドに横たわり死を目前に控えた祖母が、「おじいちゃんがこれをお前にって」と言いながら一枚の写真をジョナサンに手渡します。その写真には若き日の祖父と、祖母ではない別の見知らぬ女性が映っていました。そしてよくよく見ると、彼女の首にはあのペンダントが。ジョナサンは、彼女がどういう人なのかを探るべくウクライナへと旅立つ決心をします。写真の裏にあった“アウグスチーネとトラキムブロドにて”という言葉を頼りに。

ウクライナへたどり着いたジョナサンを出迎えたのは、彼のような‘暇で金持ちのユダヤ人’が祖先や故郷のことを調べるのを手伝う、といういかにも怪しげな商売を生業とする一家の長男アレックスと、自分は盲目だと言いながらも実はバリバリの現役運転手であるおじいちゃん、そしておじいちゃんの盲導犬(?)サミーデイヴィスJr.Jr.でした。一応通訳ということになってはいますが実にへんてこな英語を話すアレックス。もちろん英語を話すはずのないちょっと短気なおじいちゃん。歯をむき出して唸る一見こわーいサミーデイヴィスJr.Jr.。そして大の犬恐怖症であるジョナサン。三人と一匹の‘アウグスチーネとトラキムブロド探し’の旅が始まります。

ここまで読んでくださって‘あ、ちょっと観たいかも’と思われた方がいらっしゃいましたらここで読むのをやめてください!!!

Illuminated_0507_1( あ~長くなってきました。)

この珍道中を続けるうちに、彼らは徐々に打ち解けていきます。それと同時に、観ているわたしたちとアレックスは、アレックスの祖父にとても大きな秘密があることを何となく感じ取る・・・その秘密とは、この物語の重要なテーマ “第二次大戦中のユダヤ人虐殺”でした。

結論から言うと、「金持ちのユダヤなんて嫌いだ!」と言っていたアレックスの祖父は、ジョナサンの祖父と同郷の(つまりトラキムブロドという村に住んでいた)ユダヤ人だったのです。
ジョナサンの祖父はそこで結婚していましたが、もうすぐ赤ちゃんも生まれるという時に迫害が始まり、アメリカへと脱出しなければなりませんでした。アウグスチーネは彼の妻でした。身重の彼女をなぜ残していったのか(身重だったからか?)、そこのところは分かりませんでしたが、彼が村を離れて一週間後にアウグスチーネとお腹の赤ん坊は殺され、トラキムブロドの村は破壊されてしまったのです。
一方、アレックスの祖父は銃殺刑に処されましたが奇跡的に生き延び、ユダヤ人であるという印がつけられた上着を脱ぎ捨て、ユダヤ人であることも、故郷も捨てて、別の人生を生きる事を選んだのでした。

疲れてきたので以下次号(?)。

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