8月が終わってしまいましたね・・・。苦手な季節なのにやっぱり去ってゆく時は少し淋しい気がします。なんとなくもの悲しい気分の中、かねてからの計画通り‘夏の終わりの『スタンドバイミー』鑑賞’を実行しました。
‘R.フェニックス特集’ということで『旅立ちの時』とこの『スタンドバイミー』が2本立てで上映されていた映画館は、当時中学生だったわたしにはちょっと近寄りがたい繁華街(って言葉今でも使うのかしら)のど真ん中にありました。でもわたしは負けなかった!雨の中お気に入りの服を着て、初めてひとりで映画館に行ったのでした。
そういうかなり思い出深い『スタンドバイミー』ですが、しかし初めて観たときは‘そんなにいい映画かなあ’と思った覚えがあります。だってそのときのわたしはティーンエイジまっさかり(?)で、懐かしく切ない思いで振り返りたい過去なんてなかったから。これは‘少年を主人公にした大人のための映画’なんだなあと気が付いたのは、20代になってからでした(←遅いって)。
4人の中でいうとわたしは場の雰囲気を読めないバーンタイプだな。
第二次大戦に出征したときの後遺症で精神を病み、息子の耳を焼こうとした父親を心から愛しているテディ。
優秀だった兄の死にショックを受け立ち直れない両親から(そして周囲の大人から)、‘見えない子供’として扱われていることに心を痛めているゴーディー。
貧乏なアイリッシュ系の家庭に生まれ、アル中の父親、子供にあまり関心のない母親、不良で有名な兄に囲まれ、問題児と言われている(自分でもそう思っている)クリス。
ドジで臆病な、4人の中では末っ子的存在のバーン。
早く大人になりたいような、このまま子供でいたいような、そんな微妙な時期にいた4人の、夏の終わりの二日間の‘死体探しの旅’。
以下ネタばれ。
詳しいあらすじは書きませんが、ぐぐっと来てしまうのはやっぱりクリスとゴーディーの結びつきです。今回は、クリスと一緒にいたいがために進学コースには行かないと言い張るゴーディーに、クリスがこう言うところで涙が出そうになりました。
「俺が君の親なら職業コースに進むなんて言わせない
君には神様のくれた物書きの才能があるんだ
粗末にしちゃいけない
誰かが守ってやらないと
君の両親ができないなら俺が守る」
こんな大人びたことを言って、同じ歳の友達を諭すクリス。とても12歳の男の子のせりふとは思えません。ゴーディーの親友でありながら、父親であり、兄でもある、彼はそういう役を引き受けることでゴーディー自身に将来を考えさせようとしました。本当はクリスだってそういう風に言ってくれる人を必要としていたのに。まわりの大人はそんなことにはちっとも気付かないのです。そして、大人たちの代わりに彼の望んでいたことを言ってくれたのは、自分が励ましたゴーディーでした。
「一緒に進学コースに進もう」
「何にだってなれるさ」
ゴーディーにこう言ってもらったクリスは進学コースに進んだ後弁護士になり、ゴーディーはクリスの言ったとおり作家になりました。
クリス 「君はいい作家になるよ
題材に困ったら俺たちのことを書けばいい」
ゴーディー 「きっとすぐ困るね」
しかし、ゴーディーが12歳の頃の友達のことについて書いたのはそれから何十年も経ってクリスが殺された後。書くべき物語をたくさん持っていたからなのか、それとも他に理由があったのか。その疑問は小説の出だしを読んで解決しました。
“なににもまして重要だというものごとは、なににもまして口に出して言いにくいものだ。それはまた恥ずかしいことでもある。なぜならば、ことばというものは、ものごとの重要性を減少させてしまうからだ ― ことばはものごとを縮小させてしまい、頭の中で考えているときには無限に思えることでも、いざ口に出してしまうと、実物大の広がりしかなくなってしまう。だが、本当はそれ以上のものだ。そうではないだろうか?”
さて。ゴーディーとクリスのことばかり書いたけど、テディとバーンもいなければこの旅とこの物語は成り立ちません。父親のことを馬鹿にされて怒り狂ってしまい、せっかくの楽しい気分を台無しにしたとみんなに謝るテディ。迫り来る汽車に怯えて泣きながら鉄橋の上を走ったバーン。その後しばらくして彼らとは‘廊下ですれちがうときに挨拶する程度の仲’になってしまったとしても(いや、だからこそ、なのかも)、あの二日間と、あの頃の友達は、ゴーディーにとって特別な思い出なのです。
“12歳の日々を共に過ごしたあんな友達はもうできない もう二度と”
こんな思い出、わたしにあるかなあ。そういう友達、いないなあ。皆さんはどうですか?
はあ、気分はもうすっかり秋です(まだまだ暑い日が続くみたいだけど・・・)。
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