映画・あ行

2007年4月12日 (木)

『アルゼンチンババア』  お日さまの下のタンゴ

『初恋のきた道』に続いて、‘健気なな女の子シリーズ(?)’第二弾。
よしもとばななさんの本は、「みんなが読んでるからわたしは読まんでええじゃろ」というひねくれた理由で読んでいません。当然この本も未読なのですが予告で流れるタンゴに魅かれて映画を観ました。
原作のファンの方々には不評なようですけど・・・。

Argentinehag_70408_4 『アルゼンチンババア』 (2006 日)

みつこの母親が亡くなったある冬の日、父は家を出て行方不明になった。みつこは家で待ち続けたが、夏になっても父は帰ってこない。
しかしある日、近所に住むおじさんがある場所で偶然父の痕跡を見つけた。そこは、町外れにある廃墟のようなビル。人々からは‘アルゼンチンビル’と呼ばれている。
父を探しに行くべく‘アルゼンチンビル’へと向かうみつこ。果たして彼女を出迎えたのは、得体の知れない謎の人物として町で有名な‘アルゼンチンババア’だった・・・。

以下ネタばれ。

‘タンゴはひとりでは踊れない’なんていうコピーか何かを聞いたことがありますが、お父さんもみつこちゃんもそれぞれがひとりで苦しんでいて、とてもタンゴなんかを踊れる状態ではありませんでした。
文字通り‘穴にはまって’、物理的にも精神的にも身動きが取れなくなっていたお父さん。心に秘密を抱え石のように強張った表情ばかりを浮かべていたみつこちゃん。
お母さんの死によってばらばらになりかけていたそんなみつこちゃんとお父さんを再び結びつけ、新たな家族として甦らせるのが‘アルゼンチンババア’ことユリさんです。

Argentinehag_70408_2_2 アルゼンチンビル自慢の屋上庭園。

最初はみつこちゃんもみつこちゃんの叔母さん(お父さんの妹)もユリさんのことをよく知らなかったのでかなり警戒して反感を持っていたのだけど、それも無理はない気がする。たぶんわたしでも同じように考えててしまうだろうな。自分の兄さんがそんな変な女(と世間では評判の)と変なことになってる(ほんとは変でもなんでもないんだけど)なんて!人様の目を気にして妹がムキになって連れ戻そうとするのも、仕方ないと思います。
その一方で、ユリさんにタンゴやハチミツのとりかたを教えてもらって‘自分もまだ何かを面白いと思えるんだ’と知ったお父さんが彼女を必要とするのも、「ユリと一緒にいたい」と言うのもわかる。まあまあ無理に引き離さなくてもいいじゃない、などと無責任な発言をしたくなってしまう。
しかし問題はみつこちゃんです。自分のことに精一杯のお父さんは、彼女がどれくらい辛かったのかということには考えが及ばない。おまけに失恋するは二日酔いになるはムチ打ちになるは(でもムチ打ちなのにあんなに大きな御影石を運べるのだろうか???)。
だから、「みつこちゃんの父親であることを放棄してしまったあなたはわたしの子供の父親にはなれない」と、ユリさんがお父さんに優しく(しかしきっぱりと)言う場面では拍手喝采でした。ユリさん、よくぞ言ってくれた!みつこちゃんも叔母さんも、きっとそう思ったはず。

Argentinehag_70408_3 ユリさんの腕キレイだなあ。

ところで、全く詳しくはないけれどわたしはタンゴ好きです(そしてラテン音楽も好き)。映画の中でタンゴが使われていると、興奮して体が熱くなっちゃう(なんかヤバイ人みたいだ)。もしかしたらわたしの前世はアルゼンチンとかそのあたりの生まれだったのかもなーとけっこう本気で考えたりします(コンチネンタルタンゴとアルゼンチンタンゴの違いがいまいち分からないんだけど、たぶんわたしはアルゼンチンの方がより好きみたい)。
この物語の中でタンゴを踊るのはお父さんとユリさん、そしてみつこちゃんとユリさんの二組(そういえばお父さんとみつこちゃんは踊ってなかったけど、そのかわりにふたりはとても大事な儀式を一緒に執り行ってました)。
お父さんとユリさんが踊るのは、性的な匂いのする大人のタンゴ。きっとこちらの方が正しい?タンゴなんだろうけど、わたしはラストのみつこちゃんとユリさんの幻のタンゴがとても好きでした。
わたしの中ではタンゴ=夜。でもみつこちゃんたちはアルゼンチンビルの屋上、太陽の下で風に吹かれながら、景色を見ながら踊る。ものすごく気持ちよさそうでした。女性同士のタンゴ、いいなあ。
そしてこのタンゴを見て、『ブエノスアイレス』を思い出しました。

Happytogether_1126_2_1 とっておきの大好きな画像。

永遠の名場面としてわたしの心に刻まれている『ブエノスアイレス』のファイとウィンのタンゴ。でも、このふたりのタンゴは見ていると幸せになると同時に苦しくなってきます。ふたりがその後どうなるのかを知っているから(だからこそ、‘ふたりで踊っているこの瞬間’が余計にいとおしく感じられるんだけど)。
みつこちゃんとユリさんのタンゴはちょっと違います。実際はみつこちゃんはユリさんにもう会えないとわかっているのに、ただただゆったりした幸福感に溢れている。『ブエノスアイレス』の画面が全体的に寒々しい色合いなのに対して、『アルゼンチンババア』は黄色っぽい、暖かなトーンだったからということもあるでしょうが。

‘会いたいと思えば、いつでもどこでも会える’
(『ブエノスアイレス』のラストのファイのせりふ)

幻のタンゴから醒めて、屋上にひとり取り残されたみつこちゃん。でも彼女は、ファイと同じように感じていたんだと思う。お母さんにもユリさんにも、いつでも会えるんだ!
みつこちゃん一家に新しい家族を与え、彼らと叔母さんや従兄弟との絆をそれまでよりもっと深くしたあと、この世を去るユリさん。しかしアルゼンチンババア亡き後もみつこちゃんたちはアルゼンチンビルに住み続け、猫と来客もたくさんなのです。

はちみつ入りマテ茶を飲んで、みつこちゃんの焼いたパンをご馳走になって、時にはタンゴを踊る。ユリさんなら(もしかしたらみつこちゃんも)ハグして大歓迎で迎えてくれるはず。草ぼうぼうののっぱらにどっしりとそびえ立つアルゼンチンビル、ほんとにあったらいいのになあ。日焼け止めと虫除けを完璧にして、探しに行きたいです。

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2006年7月13日 (木)

いつか晴れた日に

Senseandsensibility_07_07_1_3 公開当時(10年前!)にうちの映画館で一度観たきり、‘うん、好きだ’という感想ぐらいしか持っていなかった『いつか晴れた日に』を再見しました。観てみると、10年後のわたしはこの映画をとってもとっても好きになっていました(やっぱりBBM&アンリー効果が大きいだろうけど)。以下ものすごくネタばれ。

J.オースティンがこの映画の原作『分別と多感』を執筆したのは18世紀後半なのだそうですが、時代も生活様式も全く違うこのイギリス人女性たち(そして男性たち)の恋愛模様を描いた物語が、またもやBBMに重なってしまってちょっと不思議(その辺のところはパンフレットやキネ旬にさすがプロ!というしかない分析が載っています)。
小説BBMでイニスは‘知ったこと’と‘信じようとしたこと’に引き裂かれて(ジャックをも巻き添えにして)苦しまなければなりませんでしたが、この『いつか晴れた日に』の登場人物たちは‘分別’と‘多感’に左右されてかなりの遠回りを強いられながらも、最終的には幸せにたどり着くことができました(この大団円は心底嬉しかった。みんな、よかったね)。

父親のダッシュウッド氏が亡くなる場面から始まるこの物語。当時の女性のほとんどは男性の財力に頼って生活しており、主人公のエリノアたち一家の暮らしはいろいろな事情から一気に困窮することになってしまいます。そんな中で姉のエリノア、妹マリアンヌの恋物語が展開していくのですが・・・。

Sesneandsensibility_0707_4_2理想にぴったりのウィロビーと恋に落ち、他のことがほとんど目に入らなくなるほど突っ走ってしまうマリアンヌ。亡くなった父親の代わりに一家を支える責任を感じ、そして何よりもその性格上、エドワードへの恋心を無邪気に表すことはできないエリノア。彼女たちは小さな誤解やすれ違い、思い込みから、なかなか真の愛に気付くことができません。
別の男に恋しているマリアンヌを、彼女が幸せなときもぼろぼろになってしまったときも変わらずにすぐそばでずっと見守っているブランドン大佐。自分は片思いなのだと思い込んでしまう、エリノアに負けず劣らず不器用で奥ゆかしい?性格のエドワード。“I love you.”とも言わず、相手との距離を保ちながら(ベッドシーンはおろかキスシーンすらない。握手もせずにお辞儀するだけ)、なんとか愛を伝えようとする彼ら。
相手から裏切られたり、自分ではどうしようもない事件が起きたりして、‘多感’な若者も、‘多感’を‘分別’で押さえつけようとする大人も、イニスのように‘どうにもできないなら耐えるしかない’とあきらめてしまいそうになる。ほんとに最後の最後までやきもきさせられてしまいますが、でも、だからこそラストの幸せ感が本当に際立っています(←エリノアの涙と笑顔に、同じように泣き笑いしてしまったわたし)。やっぱり“I love you.”とは言わないエドワードの告白も大好き(これってまるでイニスの“I swar....”じゃないのさ!!!と思ってしまった)。

「今やっとあなたに言うことができます いつまでも ぼくの心はあなたのものだと」

Senseandsensibility_0711_1_1

そしてこのお話はラブストーリーであり家族の物語でもあります。お互いが辛いときでも妹(姉)を思いやるエリノアとマリアンヌ。エリノアの恋が成就したのを見て心から喜ぶ家族たち。アンリー映画はやっぱり‘家族’が大きなポイント?
この作品は、彼が初めて母国の外に出て撮った映画なのだそうです。英語に苦労させられたようなことを音声解説で語っていらっしゃいましたが(謙遜か?)、そんな状況下でも、そして10年も前からリー節は顕在なのが興味深い。景色にこだわり、アングルにこだわり、色にこだわり、音楽にこだわり。なかでも景色は本当に綺麗でした。
それにしてもこのDVDの音声解説は本当に面白かった。爆笑してしまう部分もあったし、話を聞いてるとリー氏の物腰柔らかそうだけどかなり辛辣なことをずばっと言ってのけてそうな姿が目に浮かびます。予算は少なかったけどとても楽しい現場だったということでしたが、果たしてBBMの場合はどうだったんだろう?話が話だからなあ・・・。

ラスト、晴れ渡った空の下、ブランドン大佐とマリアンヌの結婚式が執り行われます。それを人知れず丘の上から見つめるひとりの男。貧乏な家の娘マリアンヌを捨てて金目当ての結婚を選んだウィロビーです。エドワード・エリノア夫妻や家族、いろいろな人から祝福されてとても幸せそうなマリアンヌを見届けて、彼女の人生から永遠に姿を消す決心をしたかのごとく馬に乗ってひとり去って行くウィロビー。(観客も含めて)みんながとても幸せ気分に浸っている中でのこの彼のエピソードが、この作品が単なるハッピーエンドのラブストーリーではないことを物語っている気がして、はっとさせられます。やっぱりわたしは悲しいハッピーエンドが好きなようです。

借りてきたDVDを返すのが名残惜しくて、延滞するか?と一瞬思ってしまいました。‘買わなければならないDVDリスト’に早速入れたのは言うまでもありません(でもリスト増えるばっかりで全然買ってないんだけど・・・)。

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2006年6月28日 (水)

ウォンカーウァイの映画に出てくる人たち≒イニス?

この前Cut4月号を引っ張り出して読み直したのですが、その中のレヴューのイニスについて書かれたある部分でわたしのこじつけBBM探知機がびよっと作動しました。

“ここまで幸せに立ち向かってアクションを起こさない主人公は珍しい。”

いーえ、他にもいますよ、そういう人・・・それはウォンカーウァイ監督の映画に出てくる人たち(全部が当てはまるわけではありませんが)。以下ネタばれ含みます。

ウォンカーウァイの映画の登場人物たちは、時間だとか記憶だとか思い出だとかに支配されている(でもよく考えたら実際の人生だってそういうもの?)。そして彼の映画でも“I wish I knew how to quit you.”は重要なキーワード。誰もが誰かに対してそういう思いを抱えていて、望みどおり忘れることができる者、忘れようとあがき続ける者、忘れずにそのままで生きていこうとする者がいる。カセットテープに悲しい出来事を吹き込んで世界最南端の灯台がある岬から捨てようとしたり、亡くなった父親を撮ったビデオを観て微笑んだり、木に掘った穴の中に誰にも言えない秘密を封じ込めたり、自分の誕生日が賞味期限になっている缶詰を買い集めたり、小説を書くことによってもう会うこともない愛する女性との思い出をたどったりする人々。
そしてわたしにイニスを思い起こさせるのは、『欲望の翼』と『楽園の瑕』の登場人物たちです。

Thedaysofbeingwild_0507_1_1 『欲望の翼』
“脚のない鳥がいるそうだ。飛び続けて疲れたら風に乗って眠る。ただ飛び続けて、疲れたら風に乗って眠る。地に降りるのは、死ぬときだけだ。”
自分をそんな‘脚のない鳥’になぞらえる主人公のヨディ。彼は、
「1960年4月16日、3時前の1分間、君は俺といた。この1分間を忘れない」
そんな気障なせりふで口説いたスーと、あっさりと別れてしまう。
誰のことも本気で愛そうとはしないクールで自堕落な男を装っているヨディ(で、それがまた似合いすぎるレスリーチャン)。ヨディをあきらめることのできないスー、そんな彼女を見守る警官のタイド、ヨディの新しい恋人ミミ、ヨディの親友でミミを密かに想うサブ、ヨディの育ての母親レベッカ。彼らの思いが複雑に交錯する。

Ashesoftime_0507_2 『楽園の瑕』
(一般的にはあまり評価が高くないようなのですが、わたしは大好きな作品です。この時のトニーレオンが素敵で素敵で・・・)。
冒頭に出てくる仏典からの言葉。曰く:
“旗なびかず、風なし。揺らぐは人の心なり。”
この映画でもレスリー演じる欧陽峰は愛する人を捨てて、故郷を捨てて、砂漠の中で暮らしている(地理的にも、精神的にも)。‘殺しの請負’という物騒な商売を営む彼のもとにはいろいろな人がやってくる。ある人からの伝言を携えてきた昔の友人、仕事を求めてやってきた盲目の剣士、弟の仇を討って欲しいと頼む娘、妹を裏切った男を殺して欲しいという兄、故郷から出てきたばかりの裸足の男。彼らにもさまざまな思いや事情があった。

スーを捨てた(ような形で別れた)ヨディは、彼女に初めて出会った日のことをしっかりと覚えていて、ラストで「大切なことは忘れない」と言い切ります(このせりふを聞いたとき、彼を見ていてなぜか感じていたもどかしさはやっぱり正しかったんだと分かって、言葉もありませんでした)。
“俺は以前、脚のない鳥は死ぬまで飛び続け、地に降り立つときが死ぬときなんだ、と思っていた。でも鳥はどこにも行ったことがなかったから、飛ぶ前にもう死んでたんだ。一番愛した女が誰なのかわからない。彼女は元気かな?”
そして欧陽峰のほうは昔の恋人を忘れる為に‘思い出を消すことができる酒’を飲む。でも結局、一番忘れたいと願った彼女のことは忘れられませんでした。
“ある人曰く、何かを捨てなければならない時は、心に刻みつけよ、と。・・・間もなく、俺は砂漠を後にした”

ウォンカーウァイの映画ではいろいろな人たちの思いはすれ違い続け、登場人物の大半は望んだ幸せ(=愛する人と一緒に生きていく)を得られません(その中にあって、『恋する惑星』のトニー&フェイウォン編のハッピーさは異彩を放っています。大好き~)。そして、‘愛する人と一緒に生きていく’ことをわざと望まないようにしてる?と思わされてしまうのがこの『欲望の翼』や『楽園の瑕』。願いを叶える為に“涙ぐましい”努力を重ねて奔走するのが『恋する惑星』や『天使の涙』なら、こちらの2本に出てくる人々(特にヨディや欧陽峰)は“幸せに立ち向かってアクションを起こす”ことをせずに、敢えて動こうとしない。そしてBBMのイニスは、じっとうずくまったまま動けないでいる。「愛している」と言わなければならない人に、言わなければならなかった時にその言葉を言わず(言えず)、その代わりにずっとその思いを胸にしまいこむ人たち。全くイコールというわけではないのですが、何となく似ているような気がわたしにはするのです。
違う選択をすれば幸せになれたかもしれないのに、その方向には行かなかったヨディたち。別の選択肢があることに気付いていながらもそれを選ぶことはできなかったイニス。ふう。

それにしても、「もーっっっ、なんでそっちに行くの???こっちに行ったら幸せになれるのに!!!」と、登場人物たちの手を引っ張って針路変更させてしまいたくなるウォンカーウァイ映画。でもそのもどかしさや、満たされない思いを抱き続ける彼らの姿が、わたしにとってのカーウァイ映画の魅力のひとつなのかなあとも思います。うう~っとじりじりさせられながらも、そのじりじり感が癖になって何度も何度も観たくなってしまう。魔力でしょうか?
『2046』を初めて観たときは、なんだかそれまでの彼の映画を思い起こさずにはいられなくて半月くらいの間にまとめて全部観直してしまいました。おそるべしウォンカーウァイ。いつか機会があったら、また彼の映画について書きたいなあと思います。

余談ですが、もうすぐ公開される『ハチミツとクローバー』という映画。この映画(というより原作の漫画・わたしは未読ですが)の売りは“登場人物全員が片思い”なのだそうで。しかしこの漫画が描かれるずっと以前にウォンカーウァイは『欲望の翼』や『楽園の瑕』のような映画を作ってたんだぞーと小さな声で叫びたいわたしなのでした(大きく叫ぶ度胸はなーい)。

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2006年5月30日 (火)

エターナル サンシャイン

エターナル・サンシャイン DTSスペシャル・エディション DVD エターナル・サンシャイン DTSスペシャル・エディション

販売元:ハピネット・ピクチャーズ
発売日:2005/10/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

またもやこじつけBBMのお時間(←勝手に作った)でございます。なにゆえBBMなのかと言いますと、それはこの映画の原題が “ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND” だからです。わたしのつたなーい英語力で訳すと ‘汚れなき心に輝く永遠の太陽の光’ といった感じでしょうか。ブロークバックの病が治るどころかますます重くなってきているわたしは、この言葉を聞いてあの名場面を思い出したわけです、‘まどろみの抱擁’を(真紅さん何度も使わせていただいてすみません・・・)。
小説BBMによると、あの日の出来事は “二人の離れ離れの辛い人生にほんの一瞬訪れた、嘘偽りのない、魔法のような幸福な瞬間だった。その記憶を損なうものは、何一つなかった。” これって・・・、言い方を変えれば “ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND” だと思ったんです、わたしは。
(ちなみにこの “ETERNAL SUNSHINE~”は、イギリスの詩人アレクサンダーポープの「エロイーズからアベラールへ」という詩からの引用だそうです。この人の言葉はいろいろなところで引用されているみたい。ふうむ。)
というわけで、「グッドガール」を借りられなかった代わりに(しつこい)、この「エターナル サンシャイン」を借りました。

悠雅さんのレヴュー:http://blog.livedoor.jp/tinkerbell_tomo/archives/50767656.html

以下ネタばれです。

‘失恋の記憶を消して差し上げます’ という(怪しい)ラクーナ社に記憶の消去を依頼したクレメンタイン。彼女の元恋人でいまだにその恋を引きずっているジョエルは、その事実を知って呆然となる。それは怒りに変わり、俺だって!とばかりに同じように記憶の消去を試みる。しかしどんどん思い出をさかのぼっていくうちに、幸せだったことや楽しかったことまで消されていくのが耐えられなくなってしまう。一転、必死で抵抗を始めるジョエル。あわてたラクーナ社のスタッフ。しかし実は彼らにも辛い恋の記憶があったのだった・・・。

ジョエルとクレメンタインの恋物語はもちろん、ラクーナ社のかなりいかれた(ように見える)社員たちの隠された思いに、わたしは涙しました。ジョエルの記憶から情報を盗むことによってしか一目ぼれしたクレメンタインを恋人にできないパトリック(しかも途中までうまくいっていたその卑怯な手段は最後までは通用しませんでした)。‘記憶の消去’という画期的な技術を、自分を愛してくれた(不倫だけど)メアリーに使わざるを得なかった博士。そのことを知らず、もう一度博士に恋をしたメアリー。彼女を深く愛しているのに、事実を知ってしまい自分の荷物を引き上げて会社を去ろうとするメアリーに、「それ私物だろ、戻らないの?・・・僕だったら戻らない」と言ってあげるスタン。

Eternalsunshine_0510_1 記憶を消したにもかかわらず、また同じ人に恋をしてしまうジョエル、クレメンタイン、メアリー。ということは、記憶と心(感情)は、つながっているようで実は別のところにあるものなのかも。いや、やっぱり同じところにあるのかな?
しかしメアリーはその恋を捨て、博士のもとを去りました。博士が記憶を消した人びとに事実を告げる、カセットテープ入りの手紙を出して。その手紙はジョエルとクレメンタインにも届き、せっかくもう一度出会って惹かれあい始めたふたりを、喧嘩別れのような形で引き離してしまいます。 ‘そんな・・・、もうすぐこの映画終わるんじゃないの?どうなんの?’そう思ってあせったわたし。しかし、大丈夫でした。

「今に(わたしのことが)いやになるわ。そしてわたしは息が詰まるの」
「いいさ」
「・・・そうね」

砂浜で追いかけっこするふたりと、BECKの歌。わたしの大好きな ‘悲しいような、幸せなような’ 気分が混ざり合う、とても印象的なラスト(すべてを知った上でまた始めようとする苦さ。単純明快なハッピーエンドとは言えないと思います)。これもうちの映画館で上映してたので、この大好きなエンドクレジットをよく観てたなあ。
俳優陣も素敵で、脚本も素敵。音楽も、わたしの大好きな「マグノリア」を担当していたJon Brion。 そして、ジョエルがクレメンタインを呼ぶ‘タンジェリン‘という呼び方が、とても素敵でした。

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