本・小説

2008年3月30日 (日)

書評を読んで涙がぽろり

うちの新聞は読売新聞です。
読売新聞には毎週日曜日に‘本 よみうり堂’という書評コーナーが掲載されていて、毎週楽しみにしてます。紹介された本を実際に買ったことはないけど(←買えよ)、いろんな人が書いてて面白いのです。
今日の本はまた特に面白そうでした。しかも、書評のひとつを読んで朝っぱらから菓子パンをほおばりながら泣いてしまった・・・。

結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日 Book 結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日

著者:益田 ミリ
販売元:幻冬舎
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書評を書いてらっしゃったのはノンフィクション作家の梯 久美子さん。イーストウッド監督の硫黄島2部作のパンフレットに寄稿?されてましたね。
たぶん来週の本 よみうり堂の書評にちゃんと全文掲載?されると思いますが、わたしを泣かせた部分だけちょっとご紹介させてください(著作権の問題はありますけど、こんな超弱小ブログならきっと大丈夫でしょう・・・)。

“すーちゃんは地道に暮らすちゃんとした大人だけれど、心は女の子だ。今どきの独身女性は、女の子のまま三十代になり四十代になる。一人で老いる不安を抱きつつ、前向きに生きている、もう若くない女の子たち。”

某有名女性歌手の「35歳を過ぎたら~云々」という失言についてはじめに触れ、
“世の女性たちが怒ったのは、彼女の無知に対してではなく、「腐る」という表現に、歳をとると女は汚くなる、という若さゆえの傲慢を感じ取ったからではないか。少なくともわたしはそうだった。”
と書いた梯さんは、この『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』を読んで、こう考えます。

“この本を電車の中で読んでいたら、涙が出て困った。花粉症のふりをしてティッシュを取り出しながら、ふと思った。あの女性歌手は、傲慢ではなく、ただ怖かったのではないか。芸能人もOLも、若くても中年でも、女の子はみんな怖いのだ。歳をとって体が衰え、醜くなることが。孤独に老いるかもしれないことが。”

ここまで読んでわたしの目は潤んでたのですが、最後に梯さんの出した結論でついに涙がこぼれてしまった(その部分は来週のお楽しみということで・・・)。
今現在すーちゃんよりももっと不安な立場にいるわたしも、すーちゃんの暮らしぶりや考え方に触れたら元気になれるかな。

しかし‘ちょっと’と書いたのに半分くらい載せちゃった。まずいかな???まあしょうがないや。

それからあともう一冊興味を引かれたのがこの本。

獄窓記(続) 獄窓記(続)

販売元:楽天ブックス
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詳しい内容や読んだ方の感想はAMAZONでご覧になってみてください。書評をされた読売新聞論説副委員長は本よみうり堂の中で、”塞翁が馬とは、まさに著者のような体験をした人のことを指す言葉ではないだろうか”と書いてらっしゃいます。う、読んでみたい・・・。

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2007年4月28日 (土)

終わっちゃったあ・・・

毎回毎回くすっと笑ったり固唾を呑んだりハラハラしたり涙ぐんだり、ものすごく熱心に読んでいた新聞小説、松浦寿輝さんの『川の光』(挿絵:島津和子さん)がこの間最終回を迎えてしまいました。

新聞の小説を読むようになったのはこの4,5年のことなのですが、これまでのわたしは、朝刊の小説だけだったり夕刊の小説だけだったり(毎日どっちも読むということがなぜかできなかった・・・)、途中からは惰性で読んだり挫折というわけではないけれど何回も読み飛ばした後にまた舞い戻ったりで、決して真面目な読者ではありませんでした。
でも、この『川の光』だけは全く違った!こんなに夢中になって、もう続きが待ち遠しくてたまらん!なんて状態に自分が陥ることになるとは。予想もしませんでした。

物語は単純です。川のそばで暮らしていたねずみの親子三匹(お父さん、タータ、チッチ)が護岸工事のせいで住処を追われ、安住の地を求めて川の上流まで旅をする、という話。
まるで小学生向けの話じゃん、ほんとにこんな調子で最後まで続くんかいな?と、最初はそれくらいのスタンスで読んでいました。ところが、次々にふりかかる災難や、知恵を絞ったり全員で一致団結したりしてその災難を切り抜けるタータたち、タータたちの危機を救う現実の世界では考えられないような助っ人たちとその活躍にに魅せられて、‘毎週日曜日と祝日はお休み’という夕刊小説の宿命がいまいましくてたまらなくなるほどがんばって読むことになってしまったのでした。

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つつじ市の会場のそばを流れている、地元では有名な川。
タータたちいないかな~、いたらいいのにな~と思いながら眺めました。

しかも、その休みの前の回はほとんどが「えっっっ!つ、続きは、続きはどうなんの!!!」というところで終わっているという(後半は特にそうだった)。あー憎らしい!くーっ!!!これはきっと計算なんでしょうけどね。
それだけでなく、時々出てくるものすごく不穏なフラッシュフォワードが、もうダメなのです。作者の術中に見事にはまってしまって、ソワソワドキドキしながら読み進める羽目になってしまいます。これが新聞小説の醍醐味なのだろうか。それともちょっとマゾ入ってるのかも?いやん。

そして挿絵がこれまた素晴らしい。本当に可愛いんです、出てくる登場動物たちが。
島津和子さんはこういう絵を描かれる方らしいのですが(これじゃあ小さくてよくわからないかな)、わたしはこの物語に出会うまで存じ上げませんでした。素敵な、愛のある絵です。ここまでこのねずみたちの行く末を案じ無事を必死に祈るようになってしまったのは、島津さんの絵によるところも大きいと思います。
それと、今思えば、小学生の頃に読んだこの話にちょっと雰囲気が似ていたのかもしれない。だーいすきだったんですよね・・・。懐かしい。

Book 火よう日のごちそうはひきがえる

著者:ラッセル・E・エリクソン,佐藤 凉子,ローレンス・D・フィオリ
販売元:評論社
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そしてネットで検索してて見つけたんだけど、作者の方はこの物語を書くにあたって念頭においていたお話があったそうです。それがこれ。

ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈上〉 Book ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈上〉

著者:リチャード アダムズ
販売元:評論社
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わたしは本は読んでませんが、小学生の時に体育館でこのアニメ映画を観ました。鑑賞後の給食時間の間じゅう、ずーっと興奮しっぱなしだったのをよく覚えています(それほど面白かったんだと思います。内容はうろ覚えだけど)。
なるほど、そうだったのか。どおりで。

連載最終回には、作者の松浦さんから読者へのお礼の文が載せられていました。
松浦さんも読者と同じような気持ちでタータたちの旅を見守るようになり、川のそばやごちゃごちゃした街の陰についついねずみを探してしまうそうです。かくいうわたしももちろん、なんやかやと折に触れてはねずみ一家の物語を思い出します。
そして、連載中にはたくさんの感想や励ましのお手紙が松浦さんのもとに届いたとのこと。それを聞いて、ああ~わたしも書けばよかったな~ととっても残念な気持ちになりました。しかし、今からでも遅くはない!本が出版されたらまたチャンスがある!
というわけで『川の光』松浦寿輝著、7月に中央公論社から発売だそうでーす☆(←さりげなく?宣伝)本屋さんで見つけたら、「ああこれかあ~」と思ってください。

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2006年6月22日 (木)

蜘蛛女のキス

蜘蛛女のキス Book 蜘蛛女のキス

著者:マヌエル・プイグ,マヌエル プイグ
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今回もまたこじつけBBMです。そして暗ーい内容になります・・・。

映画「蜘蛛女のキス」は、主演のウィリアムハートに‘名だたる映画祭での主演男優賞三冠’をもたらしたそうです(カンヌ・英アカデミー・米アカデミー)。これもまた映画を先に観て、小説を買ったときに表紙の絵を見ておおーっと思いました。最近は映画のポスターなんかがそのまま小説の表紙になることが多いようですが(BBMもそうですね)、この「蜘蛛女のキス」は一味違うんですねえ、わざわざ映画の一場面を絵にしたものを表紙にしています。ウィリアムハートに敬意を表したのかなあと勝手に考えているわたしです。それほど彼が演じたモリーナは素晴らしかったので。

アルゼンチンの刑務所で、同じ監房に入れられているモリーナとバレンティン。モリーナは中年の同性愛者で、罪状は未成年者に対する猥褻行為。バレンティンは異性愛者で政治犯の若者。全く違う人生を送ってきたふたり。しかし、真っ暗で何もすることがない夜、大衆文化を愛するモリーナがバレンティンに自分の大好きな映画の話を聞かせ、バレンティンが自分の目指す世界のあるべき姿を語るうちに、ふたりは少しずつお互いを理解するようになっていく。(この小説の主な部分はほとんどが二人の会話のみで進められていきます。)

以下ネタばれです。

刑務所の所長は、政治犯たちの組織の情報を引き出すためにモリーナに仮釈放というえさをちらつかせて同室であるバレンティンを探らせていました。しかしモリーナはバレンティンを愛してしまいます。所長の策略で体を壊したバレンティンの世話を献身的に行うモリーナ。バレンティンも、何の見返りも求めずに自分に尽くしてくれるモリーナのことを信頼し、ふたりは“肉体的レベルで結ばれる”(訳者による解説より)までになる。
しかしラスト、これまた所長の策略で監視付きで釈放されたモリーナ。バレンティンの為に組織と接触を図ろうとした彼は、危険を察知した組織のメンバーによって殺されてしまいます。一方のバレンティンはモリーナが出て行った後度重なる拷問を受け瀕死の状態に。そのバレンティンが見ている夢の場面でこの物語は終わります。はー、なんつう悲しくて暗い話なんだろう。映画を観ても小説を読んでも落ち込んでしまったわたしですが、その落ち込みには更に続きがあったのでした・・・。以下は小説の訳者による解説からの抜粋です。

Kissofthespiderwoman_0622_1 “性的マイノリティーと政治的マイノリティーが互いの立場を理解し、前者は政治的に目覚め、後者は性的タブーを乗り越えたように見える。しかし、バレンティンは心の中の女性をついに消し去ることができなかったし、モリーナの死は政治的覚醒によるものではなかった。彼はたぶん映画の中のヒロインに自分を重ね合わせ、バレンティンの為に死んだのだ。結局二人は ~中略~ 内なる監獄から自由にはなれなかった。 ~中略~ この物語を、コミュニケーションが成立したと見せながら実は成り立っていなかった、つまりモノローグの物語と見るとき、その悲劇性は一段と増し、深い悲しみを誘うのだ。”

ががががーん(←ここの部分を読んだときにわたしが受けた衝撃)。

そして、以前(毎度のことながら)びあんこさんかすあまさんのところで‘イニスとジャックはは分かり合えているようで結局分かり合えていなかった’という記事を拝見したときに、わたしは真っ先にこの「蜘蛛女のキス」の解説を思い出したのでした。
イニスとジャックは同じように愛し合っていて同じように会えないことに心を痛めていたと思いたいけれど、実際はふたりが思い悩んでいたことはまるで違っていました。というよりふたりが立っている位置?スタンス?からしてもう違っています。

小さいとき、わたしは友達と砂場で砂山を作って、両側からトンネルを掘り「わー、届いたー」と言って手を握るのが大好きでした。これを例にたとえると、ふたりで山を作ってトンネルを掘ろうとしたイニスとジャックですが、実はイニスの方は山を見ているだけで何もできず、ジャックはジャックでイニスの手に届くようにと素手でいろいろな方向からがんばって掘っていたのかなあと。はーまた悲しくなってきた。

でも、モリーナとバレンティンが死んでも(あるいは死にかけても)お互いを真に理解することができなかったのに対し、イニスとジャックは最後になんとか同じ位置に立つことができました(しつこいようですが映画では、ですね)。「蜘蛛女のキス」は好きなのは好きなんだけどあまりにも救いがないので何度も観るのは辛いのですが、BBMはこういう終わり方になっていて本当に良かった、ありがたい、と思う次第です。

Kissofthespiderwoman_0622_2

モリーナのせりふや、彼がバレンティンに聞かせる映画の中に出てくる歌の文句にまたもジャックを思い出させるものがたくさんあって、はあーっとなってしまうのですが、最後に「あーもうジャックだー」とわたしが思ってしまったせりふを抜粋して終わらせていただきます。

『あたし、あなたと一緒にいたいの。今、ただひとつの願いは、あなたと一緒にいることなの』

ちょっとセンチメンタルすぎでしょうか?でも、ジャックはここまでは言わなかっただろうけど、気持ちはこんなだったんじゃないかなあ・・・。

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