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2007年3月

2007年3月31日 (土)

パンパカパ~ン!

この前デジカメを買いました。
そして苗を植えてから一週間と1日目にして、とうとうポピーが咲きました!
ほとんど(いや全然?)世話らしい世話をしてないのにちゃんと咲くんだなあ。花というものは‘咲くのが当たり前’なんだろうけど、それってそんなに簡単なことじゃないんじゃないかなあ。植物ってすごい。‘種から苗になって花が咲く’という自然界の仕組みの一端をこの目で確かに見たんだー!と、年甲斐もなく感激しております。もしかしたら授業でじゃがいもやら朝顔やらの栽培・観察をさせられてた小学生の頃よりも、衝撃度が強いかもしれない(興奮していて文がちょっとオーバーになってる)。

だってですよ!

昨日の時点では
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こんぐらいだったのが、

24時間ちょっと経った今日の夕方には
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こんな立派な花になってたんです。びっくりするのも無理ないですよね???
しかも咲いたのは夕方ではなく今日の午前中だったそうで。24時間足らずでこんなになっちゃうなんて、なんという劇的な変化なんでしょう。

本音を言えば、赤とか黄色とかオレンジとかの花を思い描いてたので白だったのかあとちょっとがっかりしてしまいました。でも、やっぱり白も綺麗だわあ。バックが真っ暗だから余計にそう見えるだけ?んーにゃそんなことはない!この花びらの感じが、雄蕊と雌蕊とのコントラストが・・・と、自画自賛でうっとりしています(咲いたのはポピーのお手柄なんだから、自画自賛っていうのはおかしいんですけどね)。

苗はあともう1本あって、それに蕾がひとつ。そしてこの花の咲いたほうにももうひとつ蕾がついているので、まだまだ楽しみは尽きません♪ もう一本の方の花の色は何かなあ。白でも何でも、丈夫に大きく咲いてほしいものです。

とにかく。ポピーにこの言葉を贈ります。
でかした!よくやった!

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2007年3月23日 (金)

ポピーの日♪

先日来の植物熱(そんなものあるんかい)が高じて、この前ポピーの苗を買ってきました!今日植えたので、3月23日は‘ポピーの日’といたします(キッパリ)。

ちゃんと根がつくかな・・・。もしちゃんと花が咲いたら写真を撮るんだーと今からウキウキなのですが。そして種が採れたらまた蒔いて、どんどん増やしたいなあ。ポピーでいっぱいの庭・・・スバラシイ・・・(ウットリ)。
咲いたかどうかは、また後日ご報告いたしますね。いや知らせてくれなくてもいいけど、という方のほうが多いでしょうけど、まあ自己満足というやつです☆

そして、もしポピーが成功したらもっといろいろな種類の花に挑戦したい!
少年よ(少年じゃあないけどー)、大志を抱け!(野望を抱け、かな?ぶふふ)

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スーズラーン♪ うちにもあったの?と、見つけたときは狂喜しちゃいました。

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『パフューム ある人殺しの物語』  天使と呼ばれた殺人者

途方もない映画です。
これは映画館で観たほうがいい。暗く閉ざされた空間で観ると、迫り来る匂いのせいで自分の五感も研ぎ澄まされてくるような気さえしてきます。DVDではこの魔力も半減してしまうのではないかな。

Perfume_70320_1_3  『パフューム ある人殺しの物語』(2006 独・仏・西)

18世紀、悪臭立ち込めるパリの魚市場で産み落とされたジャン=バティスト・グルヌイユは、人並みはずれた嗅覚を持っていた。ある日偶然出会った少女の香りの虜となり、‘香りを捉える’ことを己の仕事と定めたグルヌイユは、調香師になる。
雇われ先の香水店の店主から教えられた‘究極の香水’を作るため、彼がとった行動とは・・・。

わたしの五感は並、いや並以下かも(ついでに音感も第六感もない)。だから、そういったものに鋭い人が日頃どのように感じながら生活しているのかは想像することしかできません。きっといろいろな情報が絶え間なく入ってきて大変だろうなあ、鈍くてよかったなあなどとのんきに考えてしまいます。一体本人たちにとってはどうなんだろう?‘鋭くてよかった’と思うのでしょうか、‘こんな能力はありがたくない’と思うのでしょうか。

果たして、グルヌイユの尋常でない嗅覚は天からの恩寵だったのか、呪いだったのか。

以下ネタばれ。

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主人公の登場のしかたのなんと不気味なことか!闇の中でぎらぎらと光る瞳、でも顔ははっきりとは見えず、表情も読み取ることはできない。
しかし物語が進むにつれ、不気味な彼を哀れに感じるようになる。こんなに彼の側に立って映画を観ることになろうとは思いもしませんでした。グルヌイユがB.ウィショーだったからということもあります、絶対。

彼を手放した人々がまるで運まで一緒に持ち去られたかのようにいとも簡単にあっけなく死んでいくのを見ると、グルヌイユはやはり何かに守られているのかと思う。
しかし同時に、神様?は彼に香りについての特別な才能を授けたにも関わらず、彼自身にはその価値観の中で最重要事項である‘匂い’を与えなかった(←『アマデウス』のサリエリを思い出します。やはりわたしはこういう人物に反応するようにできてるみたい)。なんてひどい仕打ち・・・。
でも、グルヌイユの世界にあるのは‘香り’だけ。誰も教えてないから‘神様’なんてものを知るはずもない。だから神を恨むという方向には行かず、ただただ‘香り’という自分の存在証明を追い求める。実はとっても無欲なのかもしれないと思うのは、不謹慎でしょうか。

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悪魔のような殺人者を破門にするといきり立つ司教と町の人々。それと交互に映し出される、淡々と女性を殺して着々と香水を集めていくグルヌイユ。悪魔と言われようが破門されようが、(神様と同じく)そんなのは彼にとってはどうでもいいことなのだと、このモンタージュで思い知らされます。

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不謹慎ついでに言うと、最後の‘特別な要素’であるローラを殺そうとするとき、ほんの少しだけ香水を完成させてあげたいなあという気持ちにもなってしまいました。もちろん、殺さないでほしいという思いのほうが圧倒的に強かったんだけど。

遂に香水を作り上げ、その途端に逮捕されるグルヌイユ。
彼はまさに処刑されようというそのときに香水を披露しますが、無罪になろうという意図からではなく、ただ、この究極の香水に人々がどんな反応を示すのか、彼らにどんな影響を及ぼすのか、自分の成果と存在価値を確かめたかったのだと思います(ねらいどおり期待どおりにこの香水で陶酔・狂乱状態になった人々を見て、さらし台の上で腕を振り上げ自分を誇示するグルヌイユ。・・・うう)。

その後の、彼の圧倒的な、どうしようもない孤独。
究極の香水に心の奥深くの‘愛する心’を刺激されそれを実践しても、そのきっかけをつくった本人を見ている人は誰もいない。やはり彼は存在しないのです。そのうえ、娘の仇として彼を憎んでいた(唯一彼の存在を認めていた、と言っていいと思う)父親までもが、許しを乞いグルヌイユを抱きしめる。
にせもの以外の何ものでもない、香水の香りがなくなると同時に消え失せてしまう、恥だという理由で忘れ去られてしまう愛。グルヌイユの作った‘究極の香水’がもたらしたのは、そんなものでした。
そして香水は、“彼を人並みに愛し愛される存在に変えることはできなかった”のです。

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原作には、グルヌイユがクライマックスのあの状況で彼女のことを思う場面はなかったらしいです。えっ、ここがこの物語の肝なんじゃないの?と意外に感じたのですが、製作の方々は原作を読み込んだうえであえて脚色されたのでしょうね。ちょっとBBMに似ているかも。

香りを捉えることがグルヌイユの生きる意味だった。でも本当に捉えたかったのは、あのとき出会った彼女の香り、そして彼女自身だった。そのことに、そしてその機会は永遠に失われてしまったのだということに気付く彼。貪欲に香りだけを追い求め本能に従って生きてきた、動物のようだったそれまでのグルヌイユが人間になったそのとき、彼の絶望は決定的になります。
導かれるように生まれた場所に戻り、無に還るグルヌイユ。兄弟たちとは違い、ありったけの泣き声をあげて生きるという強い意志を示した彼の、あの最後。彼は何のために生まれてきたんだろう?と、暗澹たる思いに包まれました。彼はあれでよかったとしても、です。

わたしの大好きな漫画の中に、こんな感じのせりふがあります。

 「もし彼を犯すのではなく 優しく抱きしめてくれる腕があったなら
  いや もうよそう
  彼には選択肢などなかったのだから
  これまでも そしてこれからも・・・」

グルヌイユは犯されたりはしなかったけどさ、まさにこの通りやん。
帰り道、このせりふがずっと頭の中をまわり続けていました。そして、ここまで彼の肩を持つ自分は少しおかしいのかもしれないなあと思いながらも、そういえばグルヌイユの笑った顔ってほとんど見なかったなあ・・・と考えてしまったのでした。

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2007年3月20日 (火)

ほへ~な1日

今日は、いやもう昨日か、なんだかいろいろありました。

まず変な夢を見ました。
映写を担当するようになってからというもの仕事がらみの夢をよく見るんだけど(フィルムを掛け間違ったとか、機械がおかしくなったとか、遅刻したとか、おろおろしているようなのばっかり見るんです・・・)、今回は大学生の頃とドッキングした?夢でした。
大学の教室が映画館になっているという設定で、各座席は机つきなのです。で、その机にはそれぞれパソコンが設置されている。そしてなぜかわたしは仕事中にもかかわらずお客さんに混じって(現実では観ずに終わった)『ディパーテッド』を観ています。さらになぜか「J.ニコルソンの行動を方程式で導くんだ!」などと言ってパソコンで何か計算しようとするわたし。そしたらいきなりスクリーンにその計算式が映されて、映画は中断してしまうのです。
わたしは上映を中断した罰として何かの授業?を受けなければならなくなります。するとそのクラスには所ジョージと鷲尾真知子さんがいる・・・とこういう夢を、起きる直前まで見ていたのでした。わけのわからない夢のせいなのかは知らないけど、少し寝過ごしてしまって寝起きは最悪。フラフラしながら髪を洗いました。

F_70306_5 うちのチョボチョボユキヤナギ。

そして朝ごはんに食べた菓子パン。
いつも朝は菓子パンとヨーグルト、とか菓子パンとバナナとかいう偏った献立のわたしです(要するに菓子パンは必須なんですね)。昨日食べたのは中に板チョコとホイップクリームが入っているやつ。「ワーイ」と思いながらガブッと噛み付きモグモグとしたところで、ガリッというとても嫌な音が。「異物?異物なの?」とあせって確かめてみたら、実は歯にかぶせていたプラスチックが欠けた音でした。
板チョコで欠けるなんて!そんなにヤワなのか!でも考えてみると、日夜柿ピーなんかで痛めつけてたからなあ・・・。もう限界だったんだなあ・・・。きっと治療の途中で歯医者さんに行くのをやめてしまって久しいわたしへの「ちゃんと行きなさいよー」っていう神様からのサインなんだわ、と敬虔な気持ちになりながらも、まだ予約をしていない往生際の悪い奴です。

F_70318_3 アネモネ、やっとここまで咲きました。

で、出勤時の電車での話。
大体の人がそうだと思いますが、わたしは同じ車両の同じドアから電車に乗るようにしています。そうすると見知った顔が何人かできるわけですが、その中にひとりいつもドアの横に陣取ってものすごく熟睡している男の人がいるんです。
わたしが降りる終点のひとつ手前で降りるその人は、どんなに寝てても(あまりにも眠っている為体が前のめりになってたり後ろにのけぞってたりする)自分の駅に到着するとパッと目を醒ましてササッと降りていくのでいつも感心させられます。しかし昨日は起きなかったんですねえ・・・。
いつものように目覚めて降りるんだろうなと思っていたわたしは、一向に起きる気配のない彼に焦りました。「ここで降りられるんですよね?」と起こしてあげた方がいいのか、でも‘なんでコイツ俺の降りる駅を知ってるんだ?’なんて思われたらどうしよう、自分だったらそんなことされたら不気味に思わないかな、などと余計なことを考えて逡巡した結果、電車は動き出してしまったのでした。降り損ねた彼は腕時計をちらっと見て、間に合うかどうか計算していた様子。うー、遅刻しないで会社にたどり着けたのだろうか。
皆さんだったらこういう場合どうされますか?やはりちゃんと起こしてあげます?そうするべきだとわかっていても、何故かできない自分が歯痒い。ふう。

F_70307 諸葛菜、今かなり幅を利かせてます。

そして仕事の後に、ずっと観たかったんだけどかなり消耗しそうでなかなか決心がつかなかった『パフューム』を鑑賞。予想通りエネルギー使い果たしました・・・。でも好きでした。

うー、それにしても気疲れした1日だった。寝よっと。

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2007年3月17日 (土)

『それでもボクはやってない』  裁きの庭の矛盾

この物語の主人公や、主人公を痴漢と勘違いしてしまった女の子の立場に立たされるということが、誰にでも起こり得るのです。そうなってしまった時、一体どうすればいいんでしょう?わたしにはわかりません・・・。

_70210_1  『それでもボクはやってない』(2007 日)

フリーターの徹平は、満員電車の中で痴漢に間違われてしまう。釈明をする機会も与えられず訳もわからないまま警察に拘留された彼は、母や友人、同じように痴漢の濡れ衣を着せられ有罪判決を受けた男性の助けを借りて、弁護士と共に裁判に挑む。

以下ネタばれ。

監督が‘主人公が有罪になるか無罪になるかが大事なのではない’というようなことをおっしゃっていたのをどこかで読んだ覚えがあるのですが、2時間半近くずっと徹平くんの戦いを見てきた身としてはそりゃあやっぱり無罪になって欲しい、だってやってないんだから無罪になって当たり前でしょ、と思うのも無理はないはず。しかし、考えてみると本当はタイトルに結果が表われていたんですよね。観終わった後はもうガックリでした。
ほんとに痴漢をしたおっさんがいくらかの罰金を払ってすぐに釈放されて、何もしていない無罪の人が何年も何年もお金と時間と労力をかけて裁判という地獄に捕らわれる。理不尽の極み。わたし、理不尽なの嫌いなんだーっっっ!
でも、‘嫌い’で片付けるわけにはいかないのです。

裁判官が途中で変わったことが、徹平にとって運命の分かれ目になってしまいます。このふたりの裁判官が正反対の立場から事件を見ているのが興味深い。
2人目の裁判官(小日向文世)は最初の裁判官(正名僕蔵)と同じような見方は絶対にしないという考えが前提にあるようで、それまで被告側に有利だと思われていた調査結果や証言をことごとく退けてしまいます。この裁判官たちの間に確執があったのかということは描かれませんが(小日向さんが何か含みのある表情で正名さんを眺めている場面はあったけど)、もしそうだったとしてそんなことが判決に影響するようなことがあったりするのだろうかと考えてしまいました。まさかね・・・そんなアホなことは、ないだろうけど。ないと言ってくれ。
でも上に書いたような極端なことはないにしても、このふたりの裁判官は一方は始めから無罪という見方、もう一方は始めから有罪という見方で裁判を進めているようでした。この時点でもう偏ってるじゃないのさ、と思った。そういう目で見るから、同じ証言でも受け取り方が全く違ってしまうんですよね。

_70313_2  加瀬くんをいじめるなー!ぐあーっ!

余計な考えに惑わされることもなくどんな偏った考えにも縛られず全く中立の立場で物事を見るということは、人間という生き物には絶対に不可能。機械にならできるかもしれないけど、だったら機械が裁けばいいのかということになるとそれも違う。今まで書いてきたことと矛盾するかもしれないけど、人が人を裁く時には感情というものもやはりとても大事な要素になると思うのです。本物の判事さんたちはそこのところでどうバランスをとっているのかな。

映画の中で、事件の数に対して裁判官が圧倒的に足りないので処理能力を超えた件数をこなさなければ追いつかないといったせりふがありました。それを聞いて裁判員制度ってやはり必要なんだなあと感じたのですが、この映画を観た今ではこれまで以上にその責任の重さに恐れをなしてしまってます。果たして正しい判断を下せるのだろうか?それももっと重大な刑事事件で、です。無理だ。

加瀬亮さん演じる徹平くん。初めて刑務所(拘置所?)で寝泊りした翌朝、歯を磨きながら抑えきれずに泣いてしまうところや、普段はそうではないのに人に事件の経緯を説明するときだけ語尾上がり気味になってしまうところなどとても真実味がありました。Yahoo!ムービーの単独インタビューを読んで、ますます好きになっちゃった。
そして小日向さん。主人公の無罪への道に立ちふさがる壁。だいたいのイメージとは正反対の、一筋縄ではいかない・いけすかない嫌な奴なんだろうなというのが初めて法廷に出てきたときの表情だけで伝わってきました。さすが。

それにしてもあまりにも納得がいかないこの結末。どうにもこうにもいかんともしがたいモヤモヤを抱えたまま帰ったんですが、数日経ってもやっぱりモヤモヤがくすぶっていたので、爽快感を求めて『十二人の怒れる男』を借りに行っちゃいました。こっちはすっきりするのが約束されてますからね。

十二人の怒れる男 DVD 十二人の怒れる男

販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日:2006/11/24
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最後に言っても仕方のないことをひと言。
徹平よ、何年間かのフリーター生活の後の就職活動で履歴書を忘れんなよ!そして1本遅れたらもう面接に間に合わないなんていうほどぎりぎりの電車に乗るなバカモンがーーーっ!そんな状態じゃなかったら痴漢に間違われることもなかったのにーーーっ!
・・・しかし、わたしが言うまでもなくきっと本人が一番そう思ってるんでしょう、ね。

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2007年3月16日 (金)

『ドリームガールズ』  離れては呼び合う魂たち

母が珍しく興味を示した洋画『ドリームガールズ』。うちの映画館で一緒に観る約束をしたのですが、実は裏切って先にひとりで観てしまいました~。ごめんなさい、ちゃんともう一回観るから許してください。
以前観た『シカゴ』や『プロデューサーズ』はあまり合わなかったので、ちょっと不安だったのだけども・・・(←『プロデューサーズ』に至ってはミュージカルシーンの真っ只中で睡魔に負けてしまった不粋な人です)。

こういう映画を観ていつも思うのは、歌の上手い人って自分の体が楽器そのものなんだなあということ。ショウビズ界で生きていくのは生易しいことではないというのはわかってるんだけど、どちらかと言うと音痴で音域も極端に狭い身としてはやっぱり憧れてしまいます。あんなに声を出せたら、気持ちいいに決まってますもんね。

Dreamgirls_70308_1_2  『ドリームガールズ』(2006 米)

あらすじは省いて以下ネタばれ。

ずーっと前にビデオで『ザ コミットメンツ』という映画を観ました(←主役?のバンドの発起人?がかっこいいんですー☆・・・って、こういう感想ばっか・・・)。全くの他人同士がバンドを結成し、成功し、次第にすれ違い離れていくさまを描いた作品で、なんとなく思い出してしまいました。

ザ・コミットメンツ [MGMライオン・キャンペーン] DVD ザ・コミットメンツ [MGMライオン・キャンペーン]

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発売日:2007/01/19
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↑なんと¥1,000で買えるらしい。DVDの価格ってほんと謎だ。

『コミットメンツ』の方は、寄せ集め(というと表現が悪いけど)のメンバーだったため最初から人間関係は不穏だったようですが。『ドリーム~』の方は・・・ずっと3人で一緒にやってきたのに、ずっと3人でやってきたからこそ、溝が深くなってしまう。エフィ対その他になって歌でお互いを責める場面は、容赦のない本音の応酬に目を背けたくなりました。もういたたまれなかった。
そしてその後のエフィの独唱。最初は恋人のカーティスに向けての「愛して欲しい」「そばにいて欲しい」という歌だったのが、最後はそれだけではなくなっているように感じました。あれは、仲間たち全員への思いだった気がする。声を限りに歌う彼女。なのに、エフィの周りにはもう誰もいない。 
それからずっと、エフィは彼らと本当に縁を切って暮らしていたんですね。彼女の娘がC.Cを見て「この人誰?」と尋ねる場面では、そこまで完璧に断絶してたんだ・・・と愕然。
しかし、そのほかの“FAMILY”の一員たちの絆もそんなに強固ではなかったわけで、それがまた皮肉です。

Dreamgirls_70308_2
エンドクレジットでこの場面がもう一度出てきたとき、
‘ここから物語は始まったんだなあ・・・’としんみりしてしまいました。

ジミーがあんな風に死んでいったのは、ローレルにも見捨てられてしまった(と彼は感じた)からなのではないかと思います。反対に、ひとりで生きてやる!と決意したエフィがなんとかやって来れたのは、娘の存在があったからということが大きいのではないかな。全くの孤独だったら、彼女はジミーのようになっていたかもしれません。
娘という支えを得て、でもひとりで生きてきたエフィと、カーティスとずっと暮らしてきて彼の子供を望みながら、結局叶わなかったディーナの再会の場面。ふたりはお互いを見てどう感じたのでしょうか。ここもまた皮肉でした。

やがて、離れていた仲間たちは音楽の引力(この使い方おかしいかもしれないけど)ともいうべき力によって、またつながりを取り戻します。でも、絶対にやるべきではないことをしてしまったカーティスは、“売れる音楽”についてはよく知っていたのかもしれないけど、やはり“音楽家”ではなかった。だから音楽の引力は彼には及ばなかった。ひとりになった彼は、これからどうするのでしょうか(まあ隣にまた美女はいましたけどね)。しかしこの男がなぜこんなにモテるのだろうか???解せんー。

さて、個人的にわたしが惹かれたのはジミーの初期のマネージャーを演じたD.グローヴァー。そして、エフィの復帰の第一歩となったクラブ?のオーナーです。

Kenpage_70308 この人。Ken Pageという俳優さんです。

出てきたとたんに「どっかで見たことある!どっかで見たことある!」と思って、ちょっとの間だけ映画の内容そっちのけで考えてたんだけど、すぐに思い出しました。『トーチソング』で主役のアーノルドの親友、マレーを演じてた方だったんです。だいぶんお歳を召してますが、あんまり変わってない!とっても嬉しい発見でした。

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2007年3月13日 (火)

『さくらん』  菜の花畑を駆け抜けて

有名な『吉原炎上』をテレビで観たのは、確か小学生のころでした(さすがにこの映画を映画館で観た小学生はほとんどいないでしょう・・・)。子供にはかなり刺激の強い内容だったこと、そして根津甚八がかっこよかったことぐらいしか覚えていません。でも面白かった。
安野モヨコさんの原作は読んでいないし、監督さんのことも知らない。ついでに言うと椎名林檎にも思い入れはありません。極彩色な花魁たちの美しさ、着物や部屋の内装、小道具などはもちろん強烈だったけれど、わたしの目はやっぱりいい男たちに行ってしまうのでした。

_70309_1 『さくらん』 (2006 日)

幼い頃に吉原の遊郭・玉菊屋に連れて来られきよ葉と名づけられた少女は、‘お稲荷さんの桜が咲いたらここを出て行ってやる!”と決意する。成長した彼女は、他の花魁との確執・客との恋や駆け引きを通して店一番の花魁、日暮(ひぐらし)になってゆく。そしてある時、彼女に大名の奥方になるという話が舞い込む。
お稲荷さんの桜は、咲くことをあきらめてしまったのだろうか?

以下完璧ネタばれ。

きよ葉が幼かった頃一番人気だった花魁・粧ひ(菅野美穂)は、きよ葉の才能(?)を早くから見抜き、負けん気の強い彼女を挑発して闘争心を煽ります。
「金魚は川に放たれると三代で鮒になる。美しくいられるのはこのびいどろの中だけ」
粧ひはこう言うけれど、果たしてほんとにそうなんだろうか?最後の最後にお稲荷さんの桜が咲いているのを見て、きよ葉(日暮)は鮒になることを選び玉菊屋を出て行くのです。清次と共に。桜は、日暮と清次の準備が整うまで咲くのを待っていたのかもしれないな、と思いました。ふたりが一緒に出て行けるようになるまで。

この映画でも主人公は人間関係に恵まれています。
いろいろ男性が出てくる中でいちばん光っていたのはやはり安藤政信演じる清次さん。

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ちらしの裏のこの写真、あまりのかっこよさに目を剥いてしまった。着物似合うー。

喧嘩っぱやく一直線なきよ葉。怒鳴られたりせっかんされたりが日常茶飯事なのですが、その彼女を体を張って諌めたり静かにたしなめたり、時には優しい言葉をかけたりしてずっと見守ってきたのが清次さん。きよ葉に対する彼の思いがいつから愛情に変わっていったのかはわからないけど、それを表に出すことは絶対にしない(自分の働いている店の一番人気の花魁なのだからそんな気持ちを出せるわけがないんだけど)。いい男の見本です。

それと、きよ葉の最初の客であり、また最後の客になるご隠居。

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まるで妖怪のような(褒め言葉です)市川左團次さん。なんかかわいい。

ご隠居はきよ葉の膝の上で息を引き取るのですが、亡くなる前にとっても大事な役目を果たします。
「咲かぬ桜など、ありはせんのじゃよ」
そう言って、きよ葉の背中を押すご隠居。彼はこう言うために彼女に会いに来たんだろうな。ただのエロ親父ではないんですねえ。

遊女や娼婦・男娼の物語ってわりとあるけど、大切な人に出会ったり本当の恋を知ったりして、違う人生を生き直そうとする彼らがラストに幸せになったようなものって、あまり記憶にありません。でも時には、こんな風に希望を感じさせる終わり方の話があったっていいじゃんねえ、と思う。
菜の花畑を駆けていったふたりは、どこにでも行けるのです。

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2007年3月 8日 (木)

デジカメ欲しいけど

暑くなったと思ったらびっくりするほど気温が下がって、今年のこれからの天候はいったいどうなるんだろう・・・とちょっと不安になってしまいます。
先週末すごく暖かくなったときに、職場の周りに植えてあるツツジが咲いているのを発見しました。「!!!」と目を疑ったのですが(高いところに植えてあってきちんと確かめられないので本当にツツジなのかは自信ないけど多分そう)、今はこの寒の戻りで震えているように見えてしまいます。植物にとっても動物にとってもこのヘンな天気は本当に大迷惑ですよね・・・。

というわけで、最近植物によく目が行きます。自分ちの庭や他所のお宅や道端の花の写真を撮るのにも凝っております。しかしそう毎日母の携帯を借りるわけにもいかないし、母が外出して携帯持ってってる時に光の具合が良くなって、「うわあ、今なら上手く撮れそう!」と思うこともあるし(未だに光線加減の見極めが苦手なのです)。
そして何より、携帯のカメラでくっきり撮るには被写体にものすごく近づいて撮影しなければならないらしく(単に私の技術の問題なのかもしれないけど)、そのため出来上がる写真はいっつも同じ角度、同じ構図になってしまってるような気がしてなりません。いえ、実際そうなんです。ううむ。

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近所のお宅で見つけた花。不審者に見られやしないかとビクビクしながら撮影。

先日「デジカメ欲しいなー・・・」とぼそっと呟いたところ、それを聞いた母が「買おっか?」と一言。え、ホント!?
どうやら10年以上使っているカメラのシャッターが、上手く押せなくなってきているそうなのです。折半したらちょっとだけいいのが買えるじゃん!ウホホ。
でも、そんなにすごい機能はいらないなあ。どうせよくわかんないし、使いこなせないし。そんなに腕がなくても写真がまあまあ綺麗に撮れたらそれでいいんだ~。だって機械オンチだもん。

カメラの話題からは離れますが、今年に入ってこれまた長いこと使ってきた電子レンジが壊れて、新しいのを購入しました。
今度来た新しいレンジくんには、どうやらいろいろな機能がついてる(らしい)。そして重さを量って自分で時間を決める、とっても頭のいい子。今のはみんなそうなのかもしれませんが、<メニューはあたためと解凍のみ・しかも自分で時間設定>というとっても簡単で原始的なレンジに慣れていた母とわたしは戸惑うばかりなのです。
レンジくんが重さを量って暖め時間を考えているあいだ、その前でじっと立ち尽くす母とわたし。
「だってなんか信用できないよね、正しい時間を割り出せるか」「うん、なんか不安」
・・・レンジくん、泣いてそうです。

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こっちは道路わきに咲いてました。桜の一種?梅ではない、ですよねえ・・・。

新しいレンジが来てから1ヶ月以上は経ちましたが、説明書に書いてあるいろいろなお役立ちメニューをわたしは使ったことがありません。せっかくオーブン付きなのに。そして未だに、朝牛乳をあっためるときにはレンジくんの答えが出るのを確認するまでその場を離れられないのでした。
そういえばパソコンもよく使うようになってそろそろ1年になるけど、上達してません。WWORD、EXCEL?何それ?いう感じです。
人間は脳細胞のごくごく何パーセントしか使ってないと言われますが、うちのレンジもパソコンも同じような状態だあ。うん、やっぱりこれは泣いてるな、きっと。

我が家にデジカメがやって来るのかはまだよくわかりませんが、もし買ったらちゃんと使いこなせるようになりたいなあ。レンジやパソコンの二の舞(・・・)にならないように(←レンジとパソコンはもうあきらめたんかい!と、つっこんでみる)。
デジカメ続報に、乞うご期待!です。イヒ。

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2007年3月 6日 (火)

『華麗なる恋の舞台で』  大女優を、ゆめゆめ侮ることなかれ!

先日の記事でも書きましたが、ちょっとメロウ(死語???)だったわたしの心を晴れやか!爽やか!に変えてしまった、あっぱれな映画。
主演のA.ベニングはもちろんのこと、出演者がみーんなとっても楽しそうでした。しかもその共演陣が豪華!誰が出演しているかなどの予備知識をほとんど持たないまま観たので、次々に出てくる錚々たる顔ぶれに思わず「うおっ♪」「キャー♪」と声を上げてしまいそうになりました。

Beingjulia_70301_6_1  『華麗なる恋の舞台で』 (2004 米)

同じ舞台・同じ毎日の繰り返しにうんざりして、変化を求めていた人気女優のジュリア。
ある日出会った親子ほども歳の離れた青年と恋に落ちることによって、そんな彼女の人生は一変。恋のパワーでエネルギーに満ち溢れた幸せな日々を送りますが、青年の心変わりによってやがて破局が訪れます。大きな痛手を負うジュリア。
彼女の、女優として、そしてひとりの女性としての輝きはこのまま失われてしまうのでしょうか?
(・・・このあらすじ、ちっとも面白くなさそう・・・。でも喜劇なんです)

以下ネタばれ。

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最近よく見かける(気がする)M.ガンボン。ちょっと怖いイメージがあったんだけど。

昔からジュリアのファンだったという青年、トム。彼はあっという間に彼女の心を掴みます。そしてこの恋が女優としてのジュリアにも多大に影響するのです。月影先生なら‘プロの女優は仮面をかぶらなくては!’と叱咤するところでしょうが、私生活の問題と仕事を完全に切り離して考えられる人なんて、あんまりいないはず。ジュリアもまさにそのタイプでした。うまく行ってるときはそれまで以上に素晴らしい演技ができたけど、だめになると役柄に気持ちを込められなくなってしまううのです。
そのうえ、女優の卵であるエイヴィスという若い女性を新しい恋人に得たトムの、とても理不尽な頼みが追い討ちをかけます。
“エイヴィスをあなたの芝居で相手役に抜擢してほしい”
しかしジュリアはこれを受け入れ、しかも、若手の女優に活躍の場を譲りまるで一線を退いてしまったかのような雰囲気まで漂わせるのです。そんなジュリアに戸惑う周囲の人々。
でもこれが、彼女の華麗な、まるで不死鳥のような復活劇の第一歩でした。
(上のポスターもなんとなく不死鳥を思い起こさせる気がするんですけど、いかがでしょう?)。

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物語の中でよくある、‘いい男ってほとんどが~’の見本のようなB.グリーンウッド。

今まで何度も書いてきたけど、やっぱり俳優さん・女優さんというのはスゴイ職業。しかもそれがいくつもの舞台でいくつもの役を演じてきて酸いも甘いも噛み分けた女優ならば、向かうところ敵なし!なのです。
ジュリアを楽々手玉に取った(とまでは本人は思っていないかもしれないけど)トムも、トムのコネを使ってのし上がるチャンスをまんまと掴み幸せの絶頂にいたエイヴィスも、所詮ジュリアの相手ではありませんでした。彼女は若い彼らに、舞台の上で‘女優として’見事復讐を果たします。それはそれは完璧に、鮮やかに、しかも意地悪く。あまりにも意地悪なので、最初はわたしも引いてしまったんですけど・・・。
でもよく考えてみると、これは意地悪ではありません。人生経験・舞台経験・演技力のガチンコ勝負。ジュリアが勝っていたのは、当然といえば当然の結果なのでした。
(ここでも『ガラスの仮面』を思い出してしまったわたし。乙部のりえをやっつけてマヤの敵を打った亜弓さん!美内すずえさんもこの物語をご存知なのだったりして☆)

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実はそんなによく知らないないんだけど、やっぱジェレミーよいです。改めて惚れ直し。

個人的に、俳優さん・女優さんが意地悪ーい役を楽しそうに演じているのを観るとこっちまで楽しくなってしまうのですが、それはジュリアの周りの人々も同じでした。
はじめこそ、舞台を台無しにしてしまいかねないジュリアの演技に焦り、「なにやってんだあいつは!!!やめんかい!!!」というように眉を顰めたり、ハラハラしていた舞台関係者たち。でも、彼女の演技を舞台袖で、客席で観ているうちに、彼らはただのいちファンに戻ってしまうのです。ジュリアの実力と魅力に圧倒されて、彼らの目もまた彼女と同じように輝きます。
「わたしたちは今、素晴らしいものを目撃している!」
そんな声が聞こえてきそうな、観客の表情がとてもステキ。
そして迎える大団円。ブラボー、ブラボー大女優!

映画館の外に出ると空は晴れ渡っていて、本当に「ああ、観に来てよかった~~~」とお腹の底から実感したのでした。

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うーまーいー!J.スティーブンソン(左)。好きなので大きな画像を使っちゃいます。

しかし映画の感想を書こうとすると、ついつい長くなってしまうのはなぜだろう?
で、長いついでに最後にまたちょこっと。

わたしの好きな映画の鉄則として、登場人物がみんなステキ!というのがもちろんこの映画にも当てはまるのですが、特に好きだったのはJ.スティーブンソン演じる付き人のエヴィ。長年ジュリアの世話をしてきたので、彼女のお決まりの愚痴も「またかい」というようにいなしてしまうし、本番前のジュリアに“Go to hell!”なんて口を叩くほど遠慮がないんだけど、実はジュリアの一番の理解者でありファンなのです。
そして、ジュリアの息子のロジャー。女優としての母しか知らないため、本当の彼女を掴みかねている彼。しかし、少し距離を置こうとしていた母の舞台を観て、息子は初めて彼女という人間を知るのです。ジュリアに惜しみない拍手を送り、「俺の母ちゃん、すげえ!!!」というように素直に敬意を表する姿を見て、わたしも嬉しくなってしまいました。

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2007年3月 3日 (土)

ちょっと(かなり?)センチメンタル

今日はひなまつりですね。しかし、帰宅したわたしへの母の第一声が「暑かったやろ???家の中21℃あったよ!!!」だったという、たいへん暑ーい桃の節句と相成りました。ほんと恐ろしい・・・。

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この暑さで、うちの庭のラッパ水仙はどわっっっと一斉に開花しております。

さて、おとといは映画の日でした。ちょうどお休みだったので、3月いっぱいで閉館することが決まったミニシアターに映画を観に行きました。
わたしが大学生だった頃にオープンしたその映画館は、市の中心部から少し離れたところにあるので電車とバスを乗り継いで行かなければなりません。職場から行くにも自宅から行くにも、遠くてちょっと不便です。そのため最近は年に一度か二度、ものすごく観たい!という作品が上映されているときぐらいにしか行っていませんでした。
でも、‘不便’と書きはしたけれどこの映画館に行く道のり(?)はとっても好き。バスは海沿いの高速道路を(ほんの2,3分間だけど)通るので、天気がいい時は素敵な景色が、夜には綺麗な夜景が見えます。
そしておとといはバスに揺られながら、「あの映画館で何観たっけ?」とか、いろいろなことを思い返していました。

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またもや名前のわからない花。しかも実物はもっと紫が強いんですけど・・・。

パンフレットが売り切れだったので先に観た知り合いから借りて全ページコピーした『司祭』(ほんとに号泣した)。
連日たいへんなお客さんの入りで、お年寄りに混ざって列に並んだ『宋家の三姉妹』。
どういうわけかそんなに仲の良くない人と一緒に観に行くはめになってしまって、帰りの電車を降りたときホッとした『グラン ブルー』。
『ガタカ』を観てJ.ロウの大ファンになったのと同じ頃に公開されて、友人と3人でやる気マンマンで観に行った『オスカー ワイルド』。
腹ごしらえする暇がなくて、お腹をグーグー言わせながら観た『チャイニーズ ボックス』。
職場の人たちとツアーを組んで観に行って(たしか結構な大人数だった気がする)、ほとんど全員が滂沱の涙を流した『初恋の来た道』。
お客がわたしひとりの貸切状態だったので、心置きなく声を上げて大笑いした『奇人たちの晩餐会』。
上映期間は一週間だったのに前売りを買って、意地で観に行った『焼け石に水』(観に行った甲斐はありました~)。

そうこうするうちに映画館に到着。次の上映作品がないので、ポスターは一種類しか貼ってありませんでした。うう、ますます感傷的になってしまいそう・・・。
そして上映開始です。

Beingjulia_70301_7_1  『華麗なる恋の舞台で』 (2004 米)

最後の上映がこれでよかった!ヤワなセンチメンタル気分をブッ飛ばす、意地悪で痛快で可愛い作品でした(詳しい感想はまた次回に。書けたら、だけど・・・)。
映画のおかげでとっても元気になってしまった単純なわたしは、ロビーにあった<アンコール上映のアンケート>の用紙の‘希望作品’の欄に『司祭』と『初恋の来た道』を書き込んで、よし、もう一度最後にこのアンコール上映を観に来よう!と思いながら、意気揚々と?映画館を後にしたのでした。

しかしやっぱり閉館は淋しいです。今さらだけど、もうちょっと頻繁に通っとけばよかったな・・・。後悔しても遅いんだけど。

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