« ブロークバック マウンテン:「Opening」という曲 | トップページ | 蜘蛛女のキス »

2006年6月20日 (火)

ブロークバック マウンテン:映画も、小説も。(2)

ブロークバック・マウンテン Book ブロークバック・マウンテン

著者:E・アニー・プルー
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

小説の「ブロークバック マウンテン」を読んだのは、映画を観てからでした。
初めて映画を観たときは、次の日仕事どころじゃなくなるだろうなあという予感があったので休みの前の日を選んで観にいきました(そしてその予感は正しかった・・・)。小説を買ったのも同じ理由で休みの前の日。薄くて、開いてみたら字が大きくて、びっくりしたのを覚えています。脚色を担当されたダイアナオサナ氏の真似をして夜中に読み始め、読み終わったのはもうすぐ夜が明けるという頃。小説の冒頭、“イニス・デルマーは5時前に目を覚ます。”を読んで、あーイニスも今頃起き出すのかなあと小説BBMに浸りきったわたしは(泣きながら)思ったもんでした。

小説と映画の違いのひとつはジャックの描き方です。映画を先に観たわたしはジェイクを思い浮かべながら小説を読みましたが、先に小説を読まれた方はどう思われたのでしょうか?アニープルー氏は、インタヴューで“ジェイクジレンホールはわたしが思い描いていたジャックツイストとは異なっていたけど、彼の繊細な感性は役にとってあまりにも大切だった”と仰っていましたが、その‘繊細さ’というのがかなり重要なキーワードだと思われます。

小説の中のジャックは、一見すると‘繊細’という言葉からはわりとかけ離れた存在。映画ではジェイクくんの眼差しの数々から観客はジャックの思いを感じ取ることができますが、小説ではそれは無理。それどころか、小説でのジャックの言動はひえーっと思わされるような露骨なものが結構あります。以下その部分を抜粋してみます。

①「ああ、弾が出るぜ」
②「おまえにはたまげたぜ。あれからずっと馬の背中に乗ってたおかげだろう、こんなに良くなったのは」
③「ああ、ラリーンを選んだ理由か?もちろん金目当てさ」
④“こちらは(ジャックは)牡牛以外のものにも乗っていたので、自分で処理することなどなかった”

Brokeback_0506_3_1 他にももっとあったかもしれませんが(ラリーンと結婚したのは金目当て、というのは確か残されていたけれど)、ジャックとジェイクのイメージがちぐはぐで、そぐわないと判断されたのでしょうか、上にあげた部分は映画では削られていました(ジェイクくんといえば‘ナイーブで、悩み多き一途な青年’の印象がわたしには強いのですが、一般的にもやっぱりそうなのだと思います)。その結果、映画のジャック≠小説のジャック、‘映画のジャックは繊細だけど、小説のジャックはそうではない’という図式がわたしの中で出来上がってしまいました。

しかしです。即物的?なせりふの多かった、繊細さとは無縁だと思われていた(多分イニスもそう思っていた)ジャックが、あんなふうにシャツをひっそり隠し持っていた、その意外性こそがこの物語の鍵。それがあったからこそイニス(とわたしたち)はジャックの本当の思いの深さを知ることができました。じゃあやっぱり小説のジャックは一見繊細でない、というままでいいのかなあと思います(で、もちろん映画のジャックはあのままで)。当たり前だけど小説のジャックも底のほうでジェイクくんにちゃんとつながっているんだなあ、そして、ジェイクくんをジャックに抜擢した方の目は間違っていなかったんだなあと改めて納得しているわたしです。
プルー氏はイニスの“I swear・・・.”というせりふにこめられた気持ちをわたしたちの想像に委ねました。ジャックの20年間も勝手に想像させてもらうと、実は繊細の極致というエピソードがほかにもあったのかもしれないなあと思ったりして。うーん妄想。

この小説は二人の感情を克明に描写することをあえて避け(あまりにもメロドラマになってしまうから?)、事実を淡々と描くことに徹しているような印象があります。しかし、そっけないような文の中に時々イニスやジャックの思いがふっと挿入されたりしていて、そこでぐぐっと胸をわしづかみにされてしまうわたし。小説に書かれていて映画には出てこないせりふや描写はたくさんありますが(ちょっと残念)、最後の逢瀬の前の夜に出てきた“足りない、いつだって足りない時間”という部分は、わざわざジャックのせりふとして語られていました。わたしはこの部分大好きだったのでとても嬉しかったのですが、脚色のおふたりもそうだったのかなあと。

しかし原作をとても大事に思っていても、‘ここだけは絶対に残したい!’という箇所を削らなければならないこともあるのだと思います。そういう取捨選択はどうやって行うのでしょうか?(脚色のおふたりに是非伺ってみたいです。)びあんこさんのところで、アニープルー氏は60回も推敲を重ねてこの作品を完成させ、脚色の段階ではリテイク?が何回か繰り返されたという記事を拝見しました。脚色のおふたりをとても信頼していて、口を出すことをしなかったプルー氏は、この映画が“傑作になるのか、怪作になるのか、駄作になるのか全く見当もつかなかったし、完全に的を外したものになるか、過剰にセンチメンタルに描いたものになるのかもわからなかった”そうです。そして出来上がった映画がオスカーの作品賞を逃したことについて、抗議していた彼女。映画化にはほとんど関わっていなかった原作者にここまでさせる作品というのはなかなかないと思います。映画のBBMというのはそんな作品なんですね。はー、やっぱりすごい。
まだ書きたいことがあったような気がしますが、長くなってしまったのでこの辺で。

Cut (カット) 04月号 [雑誌] Book Cut (カット) 04月号 [雑誌]

販売元:ロッキング・オン
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« ブロークバック マウンテン:「Opening」という曲 | トップページ | 蜘蛛女のキス »

ブロークバック マウンテン」カテゴリの記事

コメント

かいろさん、こんにちは。
私は原作はあまり読み込んでいないのですが(かいろさんと同じく映画→原作の順です)、原作ではジャックの印象って薄いですよね。
アニー・プルーは自らを「映画化によって作品を貶められなかった(?)最初の作家」だというようなことも語っています。
アカデミー授賞式にも参加されていたようですし、この作品を本当に誇りに思っているんだというのが伝わりますね。
だからこそ、あそこまで辛らつな『アカデミー批判』もできたのでしょう。
私も、DVDを手にするまでには原作&スクリプトを読み込むことを誓います。I swear、なんちゃって。
ではまた遊びに来ますね。

投稿: 真紅 | 2006年6月20日 (火) 21時39分

真紅さん、こんにちは。コメントありがとうございます!
アニープルー氏、そんなことを仰っていたのですか・・・。「シッピングニュース」のことはかなり突き放した感じでコメントしていましたもんね。やはり映画化には不安があったということなのでしょうか?しかしその不安を吹き飛ばすほどの作品に仕上がってしまったのがBBMという映画なのですね。うふふふふ~(←不気味)。
わたしもDVDが出るまでにもっと勉強しなくちゃ~と思っております。脚本&エッセイ、全部読めるように真紅さんのまねっこをしてここで誓ってみます。“I swear.”
それではこの辺で。またいらしてくださいませ。

追伸:Cutの中谷美紀さんと瑛太くんのインタヴューを今さら読みました。中島監督おそろしい・・・。そして最後のシーンを上映チェックと称してあれから何度か観ましたが、やっぱり良いなあと観るたびにしみじみしてしまうのでした・・・。

投稿: かいろ | 2006年6月20日 (火) 23時12分

かいろさーん、
ちょうど私も映画と原作のこと考えてたので、うれしくなってコメントさせてください~

私も映画→小説の順です。
最初本屋でぱらっと立読みしてその文体に違和感を感じ、その時は買わなかったですが、結局アマゾンをポチするついでの金額合わせで購入。実際に読んでみると、この訳者はあえてこういう訳し方、というか文章を使ってるのかなと思ってみたり。実際あとがきでも「引っ掛かりをあえて残す」って書いてありましたし。これで訳文があまり綺麗になってしまうと、感傷的になり過ぎたり、2人の不器用さが感じられなくなるのかも、と自分の中で折り合いをつけるようになりました。それでもやっぱり大昔の洋楽雑誌を思わせる「・・・だぜ」な語尾は気になっちゃいますが。(昔はこの「・・・だぜ」と「・・・なのさ」を読むたび外国人は皆こういう話し方なのか?と思ってましたよ~)

原作が先にあり、映画化される時、原作のエッセンスやモチーフを取り入れても原作と脚本は全く別になるものもあると思うんです。でも短編小説とはいえ、これだけ原作と同じ台詞、同じシチュエーションを使い、解釈は微妙に違うというのは、私は初めてで、そのことにちょっと驚きました。
ジャックの描き方は小説と映画でほんとに違いますよね。ジェイクのキャラがジャックに入ってるとびあんこさんがおっしゃっててほんとにそう思います。脚本の段階で、もう原作とは違ってる気も。というか原作と全く同じ解釈ならジェイクをキャスティングしないかも。

私はイニスも原作と小説で違うような気がしました。小説のイニスはわりと饒舌に感じませんか。
映画の方が、かいろさんがおっしゃっていた、不器用で衝動的で突発的情熱家なイニス。
「おまえと別れた」あと、「ようやく1年経って」から「おまえを見失っちゃいけなかったんだ」と、口に出して言えなかったのが映画のイニスだと思うんです。言えないけど激突キスはする(笑)

>映画ではジェイクくんの眼差しの数々から観客はジャックの思いを感じ取ることができますが、小説ではそれは無理。

ほんとに。
イニスの嗚咽する場面にしろ、かいろさんのタイトルバックに使われてるバックミラーのイニスを見つめるジャックにしろ、再会シーンの2人にしろ、台詞なしでこれだけ雄弁に2人の気持ちを語らせるのは本当に映画ならではですよね。この映画の中で一番印象に残るシーンにはどれも台詞が無いんですよ。もちろん印象に残る台詞はいっぱいあるんですけど、印象に残るシーンには台詞が無い。不思議だけどそんな感じです。

長くなってしかもポイントがズレてきてて申し訳ないです。見逃してください~ではでは。

投稿: ぽち | 2006年6月21日 (水) 01時30分

かいろさん、こんにちは。
昨日は記事の引用させていただき、ありがとうございます。コメントも感謝です。
私は原作を先に読みました。発売日の2月17日です。その前に脚本少し、エッセイも読んでおりましたが…。やはり原作には違和感がありました。訳文のせいかもしれませんが。

で、しばらく原作は読まなかったのですが、ここにきてやはり原作も素晴らしいな、と。
ただ、映画と小説では表現方法が全く違いますね、あくまで映像で語ったリー監督には脱帽です。あまりに控え目で理解しにくいシーンも多いですが、謎解きする楽しみも。時間軸がほぼそのままなのもいいですね。原作では、鼻血出したエピソードがシャツ発見時に語られたり、ちょっと違和感が。

プルーのアカデミー賞時の発言は物議を呼んだらしいですね。CrashのCをTに置き換え「失礼」と訂正してましたが。言いたいことは分かります。(笑)
「めぐりあう時間たち」の原作者も「僕は映画化で満足できた最初の原作者かも」と言ってました、あの映画も素晴らしかったです。

私も原作と映画の違いを考えているので、似たような記事をそのうち書くと思いますが、よろしくお願いします。

投稿: びあんこ | 2006年6月21日 (水) 09時09分

ぽちさん、びあんこさん、コメントありがとうございます!まとめてお返事させていただきます!

・ぽちさん
今回も鋭いコメントをありがとうございます~。全面的にぽちさんのご意見に賛成です~。と、ここで終わってしまいそうな勢いなのですが。

わたしはなるべく小説よりも映画を先に観るようにしているのですが、それは小説で大好きだったせりふや場面(時には登場人物まで)が映画では省略されていることが多くてがっかりさせられてしまうからなのです。
しかしBBMに関しては、確かに違うところはあったけど、何でここの部分を敢えて違うように解釈したんだろう?と考えさせられるのが楽しかったりします。なんででしょう?そして、ぽちさんの仰るとおり、‘せりふのない印象的なシーン’を目で観て胸を打たれ、映画では語られなかったイニスの気持ちを表すせりふを読んでぬお~っとなり。だから映画も小説も両方大好きなわたしです。DVDが出たらいつでも見比べられるんだなあと思うと今から楽しみだあ~。わ~い。

小説のイニス、ほんとに饒舌ですね。ぽちさんがあげてくださったあの小説のせりふ、わたしも大好きです。映画でもジャックにそう言ってくれたらよかったのに~。
わたしのお返事もぽちさんのコメントからずれているような気がしないでもないのですが(・・・)、それではこの辺で。ありがとうございました。

・びあんこさん
またいらしてくださってありがとうございます!最近BBMについての記事をまた書きたくなってきたなあと思っていたらDVDの発売日が決定!!!虫の知らせだったのでしょうか?

さすがはびあんこさん、小説も発売日に読まれていたのですね。やっぱりあの訳文は違和感がおありですか・・・。わたしはあまり感じなかったのですが、かなり厳しく批判されている方もいらっしゃるようですね・・・。

>あくまで映像で語ったリー監督には脱帽
はい、そのとおりでございます!最近の映画(映画だけではないかも)は、せりふに頼りすぎなんじゃないかなあと常々思っているわたしです。BBMのような映画は監督にとっても役者にとっても難しいだろうけど、アンリー監督は‘かえって腕の見せ所じゃー’と思っていたような気がしますー。

びあんこさんの書かれる記事、楽しみにしております!そこでちょっと質問させていただきたいのですが、映画と小説の最大の違いはラストにあるとわたしは思っています(そして断然映画のラストのほうが好きなのですが)。ここの点でプルー氏は何か思うところはなかったのかなあと不思議なのですが、びあんこさんはどう思われますか?ラストを変えたその意味というかなんというか・・・、うーん、うまく説明できません~。なんか曖昧な質問で恐縮なのですが、唸り続けたままこの辺で。

投稿: かいろ | 2006年6月21日 (水) 22時27分

かいろさん、たびたびすみません。

>小説よりも映画を先に

私も最近はそういう順番が多いです。理由はかいろさんと同じです。昔は自分のイメージを大切にしたくて小説→映画だったんですが、これだと、小説で自分がイメージしたものと映画が違う時のショックが大きいので。映画→小説であれば、小説でショックを受けることは割と少ないです。

>敢えて違うように解釈したんだろう?と考えさせられるのが楽しい

私もそうです~この映画が好きだからというのはもちろんですが、びあんこさんがおっしゃったように謎解きする楽しみがあるというか、見る側にいろいろな解釈を許す映画だからかなと思ってます。もちろんこうやって皆さまのブログでいろいろ教わることで解釈もできるわけですが。私は1人じゃ絶対無理ですから!(笑) 
で、「BBMは映画が基本」の私にとって、原作小説は「違うことがショック云々」というより、パンフレットや脚本を読むのと同じ、一種の資料になっちゃってるのかも知れません・・・いいのか、こんなこと言って(汗)

投稿: ぽち | 2006年6月22日 (木) 00時40分

ぽちさん、こんにちは!再びのコメントありがとうございます!

>映画→小説であれば、小説でショックを受けることは割と少ないです。

そうなんですよね~。わたしの周りでは先に原作を読む人のほうが圧倒的に多いのですが、原作を気に入った分だけ映画を観てがっかりしてしまう確率が高くなるのになあと思ってしまいます。まあ自分の頭の中でキャスティングを考える楽しみはなくなるけど・・・。

>パンフレットや脚本を読むのと同じ、一種の資料に

ははあ、なるほど~。はい、わたしもそうかもしれません~。純粋に読んでいるときもあれば、‘何か新しい発見がないだろうか???’とまるで研究するように読むときもあります~。しかし短編でよかったです、すぐ読めるから(・・・)。そしてあの短さを確認するたびに映画製作の魔法?のようなものを感じてしまいます。みなさまが更にいろいろ発見してくださることを祈りつつ、この辺で失礼いたします。ありがとうございました。

投稿: かいろ | 2006年6月22日 (木) 11時07分

おはようございます、かいろさん。
私も原作のジャックより、
映画のほうが繊細で、ジェイクならではの魅力
に溢れたキャラクターになっている思います。

プルーと脚本家2人の話、興味深いですね、、。
お互いを認め合っているこらこそ、口出ししない、、
創作者同士のコラボでも、このように相互理解がある
場合、往々にして結果は上手くいくと思います。

「土門拳美術館」とゆう建物があるのですが、写真家の
土門さんの記念館で谷口吉生設計なのですが、
この美術館の中庭にイサムノグチ製作の「土門さん」
とゆう、そのまま題名の作品が建っています。
まさに、「土門さん」が表現されていて、
中庭とも素晴らしくマッチングした彫刻です。
谷口さんいわく”イサムさんは、何も口出し
しなかった、、この中庭空間を直感で理解していた。」
と語られていて、この2人関係を思い出しました。

原作もさることながら、それを脚本、映像、肉付けした
製作者達も優れていたんでしょうね、、。

投稿: sumisu | 2006年6月22日 (木) 11時28分

かいろさん、こんにちは。

>映画と小説の最大の違いはラストにあるとわたしは思っています。ここの点でプルー氏は何か思うところはなかったのかなあと不思議なのですが

脚本のあとのエッセイでプルーはリー監督と会い、映画化を任せたものの、モーテルのシーンに違和感を覚えたようです。原作ではあそこで早くも2人の食い違いが表現されているので。でも映画を見て納得したと。
ラストについては特に触れていないようです。ただ、「もう私の作品ではなくアン・リーの映画になっていた。私はイニスとジャックにgoodbyeを言い、別の仕事にかかった」と。(135Pラスト2行~137P5行目)

原作のラストは、I swear...の後に夢のシーンがありますね。一応、撮影もしたらしいのですが(ラストは4バージョン撮ったとか)、リー監督が何故、現行のものを選んだか。私はそれでいいと思いますが。ジャックはシャツとしてよみがえったので、夢で若いジャックが再度現れる必要はないのでは、それは映画的にどうなんでしょうね。よりメロドラマに近くなるとは思いますが。

原作は夢で始まり夢で終わり、つながりを感じさせますね。
映画だと、最初にイニスが乗ったトレーラーがジャックに会うため右から左に走ってきます。ラスト付近では、ジャックの実家から戻るイニスの車が左から右へ。ジャック(のシャツ)をつれて帰る、ここが対になっていて好きなのですけど。

ぜんぜん答えになってないですが、私見を書いてみました。

投稿: びあんこ | 2006年6月22日 (木) 13時25分

sumisuさん、びあんこさん、コメントありがとうございます!
まとめレスさせていただきます。

・sumisuさん
>お互いを認め合っているこらこそ、口出ししない、創作者同士のコラボでも、このように相互理解がある場合、往々にして結果は上手くいくと思います。

本当におっしゃるとおりです!BBMという映画はその典型というか、もっと大げさに言うならば極致なんだろうなと思います。
原作者が出来上がった映画に対して厳しい発言をしている例をわりと見かけますが、BBMは、映画に関わった全ての人びとが並々ならぬ愛情を持っていて、(その為にというのは言い過ぎかもしれませんが)完成までに長い時間がかかったということも成功の一因だったのですよね。

土門拳さんもイサムノグチさんも、お名前は存じていますが作品についてはよく知りません・・・。お恥ずかしいです。でも、BBMを通していろいろな方からいろいろなことを教えていただいたおかげで、ちょっとだけ自分の世界が広がった気がして、本当に勉強になります。sumisuさん、これからもよろしくお願いいたします。
それではこの辺で。ありがとうございました。

・びあんこさん
再びのコメントありがとうございます!そして質問に対するお答え、嬉しいです。

>、「もう私の作品ではなくアン・リーの映画になっていた。私はイニスとジャックにgoodbyeを言い、別の仕事にかかった」

うーん、やっぱり早くあのエッセイを最後まで読まなければなりません・・・。
びあんこさんが以前書かれていたようにみんな次の仕事が待っているわけで、でも、プルー氏だけでなくこの映画に関わった人たちはみんな満足してこの映画にさよならすることができたのではないかなあと勝手に思っているわたしです。

>映画だと、最初にイニスが乗ったトレーラーがジャックに会うため右から左に走ってきます。ラスト付近では、ジャックの実家から戻るイニスの車が左から右へ。ジャック(のシャツ)をつれて帰る、ここが対になっていて好きなのですけど。

わたしもびあんこさんにこの対比を教えていただいて、その後に観たときなんともいえない気分になりました(ありがとうございます)。
BBSで、最後にジャックをもう一度出して欲しかった、という書き込みがあった覚えがありますが、わたしもびあんこさんと同じくあの最後のイニスにはその必要はないような気がします。クローゼットを開けばジャックにいつでも会えるんだもん。やっぱりラストは映画のほうが好きなわたしです。
それではこの辺で。ありがとうございました。

投稿: かいろ | 2006年6月22日 (木) 15時35分

いつも一拍も二拍も遅いコメントで失礼いたします。
今回の貴記事は、私がここ3ヶ月ずっと心に思い続けてきたことでした。
私は小説(翻訳)読んでから映画だったのですが、読後の感想は「この雑な話のどこをどうしたらそんな(未見だけど)美しい映画になる?」だったのです。2人の容貌も全然魅力的じゃないし随所で表現が理解できず、冒頭のイニスは「不潔っぽいうらぶれたオッサン」としか思えず、表紙の2人のイメージからはM58星雲ほどもかけ離れた印象でしかありませんでした。(実はこの時もまだジェイクのこともヒースのことも全然知らなかったのです。)
それが、1回目読み終えたときは「???」状態だったのが読み返すうちに理由もわからず悲しくなって参りました。冒頭でのイニスの寂寥感が紙面から立ち昇りこちらまで寂寞とした思いに囚われて身動きできなくなってしまうようでした。

そして、かいろさんのおっしゃるように

>そっけないような文の中に時々イニスやジャックの思いがふっと挿入されていたりして

私も全く同感です。アニー・プルーの他の作品読んでいないのですが、この本はそのあたりが実に巧みと思えるのです。まず、
再会の時イニスがジャックに感じる「凛とした山の冷気の匂い」。これが「底冷えする山で過ごした日々」がイニスにとってどれだけ大切な記憶であるか=どれだけジャックを愛しているか、そして
「ジャックのかぐわしい汗の匂いがかすかでもそこにあるかと期待して。だが実際の匂いはなく、匂いの記憶だけがよみがえってきた。」=ジャックを永遠に失ってしまったということに反映されていて

>そこでぐぐっと胸をわしづかみにされてしまうわたし。

かいろさん、私も本当にそうなんです!

私は映画ではイニスのジャックに対する愛情といいますか下山後再会までの心の推移がどうにも理解できないのですが、本のイニスは最初から「(家)をいつでも出て行ける」状態にしておき、再会の夜の会話でも「(このまままた別れてしまうのは)俺だって嫌だよ」と言い「小便をちびりそう(に恐い)」と言いつつも「こういうことが起こったとき他の奴らはどうしているんだ」と現状の打開策を考えようという姿勢が感じられてすごく好きなんです。

>小説に書かれていて映画にはでてこないせりふや描写はたくさんありますが(ちょっと残念)、最後の逢瀬の前の夜に出てきた“足りない、いつだって足りない時間”

は私も大好きです。これを思うジャックの胸中を思うとここでも涙が。

1回読んだ時には全体に粗っぽく感じられた小説も2回目は各所の描写がとても美しいものに感じられました。映画観るまでに3回くらい読んで、イメージしていたものと映画があまりに違うことに驚いて初回はジェイクの細かな表情にまで気が回らず映画と小説の違いを追うことで精一杯でした。そして次からは映画観ては泣き小説読んでは泣き思い出してはまた涙、な日々が3ヶ月余りも続くことになってしまったのです。そうして小説読んでる段階ではイニスの余りに不器用な生き方に胸が締め付けられるようだったのが映画館に通ううちすっかりジャックに肩入れするようになってしまったのです。

>ジェイクくんの眼差しの数々から観客がジャックの思いを感じ取りことができますが

ジェイクのBBMでの演技は観れば観るほど圧倒されて惹きこまれるばかりです。びあんこさんへのコメントにも書かせていただいたのですが、ちょうど小説読んだ頃TVで「けもの道」を放映しておりまして、最後に流れる中島みゆきの「帰れない者たちへ」の「♪帰れない者たちが月を見る十三夜」から始まって「♪還れない歳月を夢だけが遡る」のところでまるでBBMを歌ったようだと思い、最後の歌詞そのもののイニスの人生に胸塞がれる思いでおりました。今も小説のイニスはあれ以上どうしようもなかったと思い哀れでなりません。でも、映画となると何故かジャックの思いに寄り添うようになってしまうのはジェイクくんのあの眼差しがあるからこそ、と思います。

>小説のジャックも底の方でジェイクくんとちゃんとつながっているんだなあ、そしてジェイクくんをジャックに抜擢した方の目は間違っていなかったと改めて納得しているわたしです。

かいろさん、私も一緒に納得させてください。私、容姿は全然好みじゃない小説のジャックも心は映画のジャックと同じと思ってます。

ものすごい長いコメントになってしまいまってごめんなさい。続きの構想がおありでしたらまた書いてくださるの楽しみにしています。そしたら嫌がらず、またおじゃまさせてくださいね。

投稿: 沙斗魔 | 2006年6月24日 (土) 17時41分

沙斗魔さん、こちらの記事にもコメントしていただいてありがとうございます!しかもこのような力作コメント・・・。もう感激です!わたしが書いた記事より沙斗魔さんのコメントのほうが何倍も素晴らしいです~。そしてどの部分にもいちいち同感でうんうんと頷かせて頂いております~。

沙斗魔さんは小説を先に読まれたのですか。‘不潔っぽいうらぶれたおっさん’という表現にブッと吹き出してしまいました、はい。でも、

>冒頭でのイニスの寂寥感が紙面から立ち昇りこちらまで寂寞とした思いに囚われて身動きできなくなってしまうようでした。

この部分でその‘ブッ’という気分は吹き飛んでしまいました・・・。小説でのイニスは映画のイニスより饒舌、というぽちさんから頂いたコメントにもすごく納得だったのですが、沙斗魔さんの小説イニス考にも本当に納得してしまいました。それに、

>映画観ては泣き小説読んでは泣き思い出してはまた涙

わたしもそうだったんです・・・。罪作りですよね~、このふたり。特にジェイク(いや、ジャックかな?ふたりを混同しちゃってるみたいです、わたし。だってあまりにもジャック=ジェイクなもので・・・)。

「けものみち」はよく覚えていなくて、また観てみたいなあと思っていたのですが(山崎努大好きなんです・・・)、この歌詞を拝見して絶対観るぞ~と決心を新たにいたしました。“還れない歳月”=“世界は自分たちのもので、何一つ間違ったことなどないように思えた日々”ですね。この部分を読む度に、本当にどう説明したらいいのか分からない気持ちになってしまいます。訳者の方も書かれていましたが、それだけ素晴らしい文なのですよね。

もっと書きたいのですが、あまりにも沙斗魔さんのコメントに納得しすぎて書くことがありません(なんじゃそれ)ので、今日はこの辺で失礼させていただきます~。お許しください。お気を悪くなさらずに、またいらしてくださいね。ありがとうございました。

投稿: かいろ | 2006年6月24日 (土) 21時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/101793/2302193

この記事へのトラックバック一覧です: ブロークバック マウンテン:映画も、小説も。(2):

« ブロークバック マウンテン:「Opening」という曲 | トップページ | 蜘蛛女のキス »